上部が撤去されたJR宝塚線脱線事故現場のマンション=18日、兵庫県尼崎市、朝日新聞社ヘリから、筋野健太撮影
25日に発生から12年になるJR宝塚線(福知山線)脱線事故。電車が衝突した兵庫県尼崎市のマンションは上層階が取り壊され、階段状に姿を変えた。JR西日本は来年夏ごろまでに一帯を広場に整備し、慰霊碑などを建てる。変化していく現場だが、遺族らの事故への思いは変わらない。
9階建てのマンションをめぐっては、遺族らの間に保存から撤去まで様々な意見があったが、JR西は事故の痕跡が残る北側を中心に保存を決めた。昨夏からの工事で南側の1階から北側の4階まで階段状に残された。27メートルあった高さは半分以下になり、工事用の大型クレーン2基が立つ。今後はアーチ状の屋根を取り付ける。
そばに設ける広場には、手を合わせた形の慰霊碑や犠牲者名を刻んだ碑などを建てる。管理棟も整備し、地下には遺族が故人宛てに書いた手紙などを置く。
一方、事故車両の1~4両目は、保存に向けて整理をしている。将来の保存場所や公開の是非をめぐって遺族らの間で意見が分かれており、集約には時間がかかるとみられる。
事故で亡くなった川口初枝さん(当時48)の夫(60)は毎月命日、現場で手を合わせる。3月に、小さくなったマンションを見て思った。「本当になくなってしまったんだな」
10年以上、ほぼ事故直後の状態で置かれ、「ほったらかし」にされていたようで寂しかった。だから、ほっとした面もある。ただ、あるはずのものがない「違和感」は想像以上だった。妻が最後まで生きていた大事な場所。でも、命を落とした一番嫌いな場所――。形が変わっても、自分にとって現場が持つ意味は変わらない。
「このような事故を二度と発生させないよう 将来にわたりこの事故を心に刻み続ける」。広場の碑に記されるというこの言葉とは裏腹に、JR西の事故への姿勢が変わってしまわないかが気がかりだ。
「事業の多角化も、豪華な列車を走らせるのもいい。でも、本質は安全。それを見失わないよう、改めて考えてほしい」
「忘れようにも忘れられへん」…