作家の佐藤愛子さん
政府は29日付で、各界で功績があった人をたたえる2017年春の叙勲の受章者4185人を発表した。日本人は4080人、外国人は105人。日本人受章者のうち女性は398人(9・8%)、民間人の受章者は1839人(45・1%)で、03年秋の制度改正以降、ともに最多。特に優れた功労があったとして、桐花大綬章を元首相の森喜朗さん(79)が受章する。
叙勲には「旭日章」と「瑞宝章」があり、旭日章は政治家や民間人、瑞宝章は公務員が主な対象。旭日大綬章は元外相の川口順子さん(76)ら6人。小説家の佐藤愛子さん(93)や脚本家の池端俊策さん(71)は旭日小綬章を受ける。
外国人では、ノーベル賞受賞者のシドニー・ブレナーさん(90)らが旭日大綬章に、サッカー解説者のセルジオ越後さん(71)らが旭日双光章に選ばれた。
■小説家・佐藤愛子さん(93) 旭日小綬章
小説もエッセーも「すべて自分のために書いてきました」という。「読者のためじゃないの。世のため人のために力を尽くしたわけではないのに、こんなご褒美をいただくことになって忸怩(じくじ)たる思いです」。ユーモラスな受け止め方は佐藤さんらしい。
自身や家族の波乱に満ちた生きざまを小説にしてきた。事業に失敗した夫の借金を肩代わりする体験をもとにした「戦いすんで日が暮れて」で1969年に直木賞。「アクシデントが次々と起こりますので、その都度、一生懸命に戦わざるを得なかった人生です」
父は作家の佐藤紅緑(こうろく)。兄は詩人のサトウハチロー。激烈な佐藤家の人々を12年かけて描いた大河小説「血脈」で2000年に菊池寛賞を受けた。「人間の面白さ、悲しさを書きたいという欲求がずっとある。へんてこな人間ばかりだった身内のことをもっと理解したいという気持ちでした」
昨夏に出したエッセー集「九十歳。何がめでたい」はユーモアと毒舌に満ちた身辺雑記で、80万部を超えるベストセラーだ。「憎まれ口は昔からの私の定番です。今さらなぜ、という感じ。私自身は変わっていません。時代が変わったのですよ。世の中って面白いですね」(中村真理子)
■脚本家・池端俊策さん(71) 旭日小綬章
「役者や演出家らに生かされてきた存在。脚本家は1人ではできない仕事。今日までやってこられたのは奇跡的だと思う」。そう感謝の言葉を繰り返した。
小学6年で心臓病で入院したとき、父親が夏目漱石の「吾輩は猫である」を持ってきてくれた。「暗いけど、良い香りがした。文学っていいなあって」。物書きを志した原点だ。高校では演劇部で台本作りに夢中に。大学では在学中からシナリオ研究所に通った。
印象深い作品は、1984年のNHKドラマ「羽田浦地図」。主演の故緒形拳さんに「お前、いい本書くなあ」と肩をたたかれた。「雲の上の大スターが言うんだから間違いない」。脚本家として生きていこうと決めた。
TBS「イエスの方舟」やNHK大河「太平記」……。テレビドラマを主な活躍の場としてきた。「多くの人が同じ瞬間に同じものを見ている。エネルギーを感じるし、不思議な快感」
今月テレビ東京で放送された「破獄」は、昭和の刑務所が舞台だった。「歴史というめがねを通すと今の時代の本質が見えてくる。昭和を生きた人たちをきちんと描いていきたい」。今でも、原稿用紙に鉛筆で手書きするスタイルを貫く。(野村杏実)
■能楽師・福王茂十郎さん(73) 旭日小綬章
「もう少し頑張れよということかなと受け止め、覚悟を新たにしました」。関西を拠点に活躍する能楽ワキ方福王流の十六世宗家は、喜びと責任の重さをかみしめた。
大阪市に生まれ、幼いころから父である先代茂十郎(もじゅうろう)さんのもとで修業した。せりふを一言でも間違えると、すぐ稽古が打ち切られる厳しさ。「徹底的に基礎をつけてもらえたのが、いま役に立っている」
ワキ方はシテ方(主役)の相手役で、物語の進行と、観客を幽玄の世界にいざなう役目を担う。能面は着けず、素顔で勝負する。「いま一番面構えに存在感がある」と評されたことも。「表情はつくったらいけないと先代からしつこく言われた。だんだん舞台の顔ができてきたのかな」
1976年に宗家を継承した。堂々としたたたずまいと確かな芸で全国の舞台に引っ張りだこ。40~50代のころは年間200公演を超えていたという。
気がかりなのは後進だ。能楽協会所属の能楽師をみても、ワキ方はシテ方(約780人)に比べて人数は10分の1に満たない。「10~20年では育たない。これまで以上に養成に力を入れたい」(向井大輔)
■作家・高樹のぶ子さん(71) 旭日小綬章
先月、2016年度の日本芸術院賞に選ばれたばかり。「70代に入った節目で、これまでやってきたことを認めていただいたのかな」と喜びを口にする。
1980年に作家デビュー。「透光の樹(き)」「百年の預言」といった恋愛小説の名手としてならし、2001年には、戦後生まれの女性で初の芥川賞選考委員に。執筆依頼は今も引きも切らない。
それでも、「これまで書いた作品はみんな失敗作。読み返すと、自分に腹が立ってくる」と話す。
「人間はでこぼこした存在なのに、それを飛ばして、こうと決めつけて書いてしまった気がして。ちっとも人間を見ていないじゃない、と」
自分の書くものに飽き足りない気持ちが、挑戦を後押ししてきた。「高樹のぶ子イコール恋愛小説、という見方を打ち破りたいと思って書き続けている」
70代を迎えた自身を、「サナギからかえったチョウが、じわじわ羽を広げているところ」と表現する。執筆は体力勝負といい、ヒップホップダンスも取り入れた運動を欠かさない。「私には代表作と呼べるものがまだない。今から書かなくちゃ」(上原佳久)