亡くなった高田晴行さんはカンボジアで現地の子どもと野球をしていたという。遺品のグラブを手に、母幸子さんは「息子を忘れないで」と語る=岡山県倉敷市
3日は憲法記念日。だが、岡山県倉敷市の高田幸子さん(84)が忘れられないのは翌4日だ。24年前のこの日、国連平和維持活動(PKO)で文民警察官としてカンボジアに派遣されていた息子の晴行さん(当時33)が武装集団に襲撃され、命を落とした。
特集:憲法を考える
オランダ軍に警護されながら車で移動中だった。自動小銃などで撃たれ、他にも日本の文民警察官4人が重軽傷を負った。
派遣の根拠は1992年6月成立のPKO協力法。「戦闘行為に巻き込まれ、武器を使ったら、憲法9条が禁じる海外での武力行使に直結するのではないか」。違憲とみる意見も根強い中、平和主義を掲げる9条の枠を超えない活動内容にするため、設けられたのが、停戦合意などの「PKO参加5原則」だった。
現地の治安はどうだったのか。手がかりの一つが、遺品の中にあった。晴行さんが出せずに持っていた手紙。今も県警に預けたままだが、「昼も夜も銃弾の音でいてもたってもいられない」という趣旨の内容が書かれていた、と覚えている。晴行さんが襲われる前にも金品強奪事件が起き、けが人が出ていた。「戦場のような過酷な場所。早く撤収していれば、命は助かった」
4月、南スーダンのPKOに派…