会見で語る土師守さん=23日、東京都千代田区永田町2丁目
1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件で、土師(はせ)淳君(当時11)が亡くなって、24日で20年。淳君の父の守さん(61)が23日、東京・永田町で開かれた「犯罪被害者の声を国会に届ける院内集会」に参加し、終了後の会見などで20年の思いを訴えた。
神戸連続児童殺傷から20年、土師守さんが手記
この事件では男子中学生が逮捕され、少年法改正議論に発展した。土師さんは、同じ年に妻を殺害された弁護士の岡村勲さん(88)らと、被害者が蚊帳の外に置かれた状況を訴え、被害者の刑事裁判参加や少年審判傍聴などの実現に尽力してきた。
会見で土師さんは、つらさを抱えながら活動してきたのは「それが、亡くなった子どもにできることかな、と思い」と話し、涙をこらえた。約20年で犯罪被害者支援は「大きく改善した」ものの、「まだまだ改善が必要なところがある」と指摘した。
加害少年と同じ中学に通っていた淳君の兄は登校できなくなり、苦しみ、なかなかそれを表に出せなかった。その体験を踏まえ、「未成年のきょうだいへの教育支援と児童精神科医らの支援が必要で、家族だけでどん底から立ち上がるのは困難だ」と述べた。
また、加害者の元少年が一昨年、手記「絶歌」を出版したことについて、「二度も被害者遺族を苦しめ、しかも金もうけするなど許されない」と規制を求めた。元少年の更生教育は「失敗だったとしか考えられない」と述べた。
それまで土師さんは、元少年から届く手紙を読んでいた。「手紙を読むしんどい作業をする限りは、良い方向で考えようとしてきた。それが手記出版で、やっぱりあかんなと、疑いが確信になってしまった」
同席した諸澤英道・元常磐大学学長は、元少年への更生教育の検証を訴えた。(河原理子)