您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 政治(日语) >> 正文

皇太子さまから声…被災地の少年は県防災局長になった

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-7-7 7:28:32  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


伊勢湾台風の被災児童を激励する皇太子明仁さま。岸信介首相、桑原幹根愛知県知事も随行した=1959年10月4日、名古屋市中区、朝日新聞社撮影



■てんでんこ 皇室と震災・第2部3


名古屋市港区に住む酒井俊幸(さかいとしゆき)さん(73)は1959年10月4日、避難していた名古屋市中区の名城(めいじょう)小学校分校(現・名古屋市立御園(みその)小学校)で、訪れた皇太子明仁さまから声をかけられた。当時中学3年。「どんな会話をしたか覚えていません」というが、情景は鮮明に記憶に残っている。


陛下「東北は私が行きます」 震災直後、石原知事は絶句


連載「てんでんこ」一覧


59年9月26日夜、伊勢湾台風による大雨と高潮で庄内(しょうない)川の堤防が壊れ、酒井さんの家は水没した。父母と祖母、4人きょうだいの7人は真っ暗な屋根の上で一夜を明かした。


泥水がなかなか引かない中、子どもたちは名古屋市の中心部に避難し、避難所から学校に通い始めた。繊維問屋街がすぐ近くにあり、着の身着のままで避難してきた子に服や布団が配られたことを覚えている。


皇太子さまは岸信介(きしのぶすけ)首相、桑原幹根(くわはらみきね)愛知県知事とやってきた。子どもたちは教室に集められ、並んで座って待っていた。


当時の新聞記事によると、まず校長が「この方が皇太子さんです。こちらはテレビでよく見る岸さんです」と紹介。皇太子さまは「病気の人はいませんか。親はどうしていますか」と尋ね、「いろいろ苦しいこともあるでしょうが、気を落とさずにがんばってください」と励ましたという。


記事には、「ぼくらだけ見舞っ…


有料会員に登録すると全ての記事が読み放題です。


初月無料につき月初のお申し込みがお得


980円で月300本まで読めるシンプルコースはこちら



 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    《银魂》获赞追加点映 小栗旬自

    真人版《银魂》日本首映 小栗旬

    日本女偶像团体办握手会 遭男子

    木村拓哉惊传车祸 揭其为什么那

    广告

    广告