伊勢湾台風の被災児童を激励する皇太子明仁さま。岸信介首相、桑原幹根愛知県知事も随行した=1959年10月4日、名古屋市中区、朝日新聞社撮影
■てんでんこ 皇室と震災・第2部3
名古屋市港区に住む酒井俊幸(さかいとしゆき)さん(73)は1959年10月4日、避難していた名古屋市中区の名城(めいじょう)小学校分校(現・名古屋市立御園(みその)小学校)で、訪れた皇太子明仁さまから声をかけられた。当時中学3年。「どんな会話をしたか覚えていません」というが、情景は鮮明に記憶に残っている。
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59年9月26日夜、伊勢湾台風による大雨と高潮で庄内(しょうない)川の堤防が壊れ、酒井さんの家は水没した。父母と祖母、4人きょうだいの7人は真っ暗な屋根の上で一夜を明かした。
泥水がなかなか引かない中、子どもたちは名古屋市の中心部に避難し、避難所から学校に通い始めた。繊維問屋街がすぐ近くにあり、着の身着のままで避難してきた子に服や布団が配られたことを覚えている。
皇太子さまは岸信介(きしのぶすけ)首相、桑原幹根(くわはらみきね)愛知県知事とやってきた。子どもたちは教室に集められ、並んで座って待っていた。
当時の新聞記事によると、まず校長が「この方が皇太子さんです。こちらはテレビでよく見る岸さんです」と紹介。皇太子さまは「病気の人はいませんか。親はどうしていますか」と尋ね、「いろいろ苦しいこともあるでしょうが、気を落とさずにがんばってください」と励ましたという。
記事には、「ぼくらだけ見舞っ…
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