被爆死した二川謙吾さんの遺品の懐中時計。資料館本館に展示されていたが、2年前、短針が折れていると判明した(息子の一夫さん寄贈、広島平和記念資料館提供)
「原爆」と「虐殺」という負の遺産を後世に伝えていくため、広島平和記念資料館(広島市)とポーランドのアウシュビッツ博物館が連携に向けて動き始めた。まもなく戦後72年。体験者が減る中、犠牲者の遺品など「沈黙の証人」を劣化からどう守るべきか――。
原爆資料館、アウシュビッツ博物館と連携へ 職員を派遣
特集:核といのちを考える
2015年夏、広島平和記念資料館本館で、懐中時計の破損が見つかった。爆心地から約1・6キロで被爆し、亡くなった二川(にかわ)謙吾さん(当時59)の所持品で、直径4センチのスイス製。短針が折れていた。
原爆投下の「午前8時15分」を指して止まった時計は、2万点余りの収蔵品の中でも、象徴的な遺品だ。修復が試みられたが、さらに破損する恐れがあり断念した。
資料館は79年以降、熱線を受けた屋根瓦や溶けたガラス瓶、個人の遺品など数種類の収蔵品をまとめ、国内外の展示用に貸し出してきた。だが懐中時計の件で、貸出先の展示環境をチェックするようにした。資料館啓発課の西田満課長補佐は「多くの人に見てもらうことと、きちんと保存することは相反する」とした上で「個人の遺品は破損したら取り返しがつかず、管理が重要」と言う。
資料館が着目したのがアウシュビッツ博物館だ。かつて収容所施設として使われた建物を残し、中で収容者の靴やカバン、眼鏡、衣服などの遺品が見られる。収容者が描いた壁の落書きも残されている。
ただ建物も「展示物」という位置づけで、自然環境による劣化に早くから直面していた。このため1960年代から施設や展示品の修復に着手。68年には2トン分の髪の毛を洗浄し、100キロ分のごみを除去した。靴は劣化防止で油分を補うほか、収容者のカバンや描いた絵画作品まで修復の対象だ。遺品に名前が記されている場合は、どんな人物だったかも調べるという。
こうした作業に、国内外の大学…