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消えぬ傷、父2人の30年間 2日連続の未解決誘拐殺人

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-9-15 13:12:28  点击:  切换到繁體中文

 

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功明ちゃんの遺影を手にする光則さん=高崎市筑縄町


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1987年9月、群馬県内で2日連続して子どもが誘拐される事件が起きた。14日に高崎市の荻原功明(よしあき)ちゃん(当時5)、15日に尾島町(現・太田市)の大沢朋子ちゃん(当時8)。2人とも遺体で見つかり、いずれの事件も未解決のまま公訴時効を迎えた。今年で30年になる。2人の父親に話を聞いた。


高崎市筑縄町の地神社。功明ちゃんの父光則さん(73)は、蛍光色の帽子と腕章を身につけ、毎日のようにこの場所で近所の子どもたちの登下校を見守っている。


30年前、自宅から20メートルほどのこの付近で功明ちゃんは行方不明になった。


古い家が多く残っていた一帯は区画整理され、新しい住宅や店が立ち並んでいる。昔と違い、今や近所の誰もが顔見知りではなくなった。知らない顔の人が歩いていても違和感はない。


光則さんは「功明のような事件は、もう二度と起きてほしくない。まずはこの町の子どもたちの安全を見守っていきたい」と話す。


1987年9月14日夕。功明ちゃんは1人で家を出て神社に向かった。普段は光則さんも一緒に行っていたという。「1人で神社に行ったのは初めてだったと思う。『行かせなければ』という後悔は今もある」


犯人側からは身代金を要求する内容など計4回の電話があった。2日後に近くの川で功明ちゃんの遺体が発見され、その後の捜査は難航し、2002年、公訴時効を迎えた。


「なぜ、うちの子だったのか。金が欲しいなら、もっと方法があったんじゃないか」。犯人への疑問は今も尽きない。自分の手で犯人を捜そうと思ったこともあった。「今は怒りや悲しみより、ただ功明を供養してやりたいとだけ思っている」。毎朝仏壇に手を合わせ、月命日にはお墓参りに行く。功明ちゃんが見つかった川にかかる橋へも、時々出かける。「親としてできることを尽くしたい」


8月31日。今年も荻原家の食卓には、ケーキや赤飯が並んだ。功明ちゃんの誕生日は家族で祝う。生きていれば35歳。結婚して、子どもがいてもおかしくない。でも、光則さんは「育った姿なんて分からない。5歳のまま、止まっているから」。



朋子ちゃんが子猫を見せに行くと言って出かけた太田市亀岡町の尾島公園に、色あせた山型の遊具がある。朋子ちゃんの父忠吾さん(71)は「これは30年前もあったんじゃないかなあ」と話し、続けて「でも、朋子のことを書いた看板はなくなっちゃったね」とつぶやいた。


「朋子が帰ってこない」。忠吾さんが電話を受けたのは、単身赴任先の富山県だった。自宅に戻ると、「警察関係者と逆探知の機械があって、犯人からの電話を待っていた」。


だが、電話はかかってこなかった。約1年2カ月後、公園から約2キロ南の利根川河川敷で小さな白骨遺体が見つかった。血液型や歯の治療痕などから、県警は朋子ちゃんと断定した。しかし、事件は解決しないまま時効となった。


それから15年。忠吾さんはいまも犯人を追いかけている。1996年に太田市で横山ゆかりちゃん(当時4)が行方不明になった事件の解明に望みをかけている。刑事訴訟法の改正で、ゆかりちゃん事件には時効がない。


2011年に、群馬・栃木で1979~96年に起きた五つの女児殺害・失踪事件の家族会を立ち上げた。「5事件は同一犯の可能性もあると思う。捜査が続くゆかりちゃん事件から、朋子の事件の真実も分かるかもしれない」。ビラ配りや署名集めに走り、現場周辺を歩いた。


ただ最近は、体も弱まり、精力的な活動はできなくなった。それでも気持ちだけは変わらず、仏壇に手を合わせる日が続く。


「時効の前後で心の中は何にも変わらない。変わらない状況が続くだけ。長いとも短いとも感じない。犯人への怒りも憎しみも、30年前と変わるはずがない」(山崎輝史)



〈功明ちゃん事件〉 1987年9月14日夕、高崎市筑縄町の荻原功明ちゃん(当時5)が「(自宅近くの)神社に遊びに行く」と家を出たまま、行方不明になった。同日午後6時40分過ぎ、荻原さん宅に「子どもを預かっている。2千万円よこさなければ殺すぞ」と男の声で電話があった。16日朝に4回目の電話があり、その後連絡が途切れた。同日午後0時35分、自宅から南西約4キロの同市鼻高町の寺沢川で、功明ちゃんの遺体が見つかった。


15年間で延べ26万4千人の捜査員を投入し、情報提供は1970件、捜査対象者は4200人に上ったが、2002年9月14日午前0時、公訴時効が成立した。戦後の身代金目的の誘拐殺人事件では、唯一未解決のまま時効になった。



〈朋子ちゃん事件〉 1987年9月15日、尾島町亀岡(現・太田市)の大沢朋子ちゃん(当時8)が、昼ごろに近くの尾島公園に出かけたまま帰らない、と家族が同日夜、太田署に届けた。公園西側の路上で、自転車を押して歩く30歳前後の男と一緒の朋子ちゃんを、同級生らが目撃しているが、男の特定はできなかった。


翌88年11月27日、公園から南約2キロの利根川河川敷で白骨遺体が見つかり、県警は朋子ちゃんと断定した。15年間で延べ5万9千人の捜査員を投入し、情報提供は820件、捜査対象者は780人に上ったが、2002年9月15日午前0時、公訴時効が成立した。




 

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