石清水八幡宮の本殿
秋の「京都非公開文化財特別公開」(京都古文化保存協会など主催、朝日新聞社特別協力)が11月1日(一部10月28日)に開幕します。公開に先駆けてフリーライターの桝郷春美さんが、見どころの一つ石清水八幡宮(京都府八幡市)を訪ね、その魅力を紹介します。
【特集】京都非公開文化財特別公開
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「いい運動になりますよ」と、京阪電車・八幡市駅前にある観光情報ハウスの「おっちゃん」に薦められ、石清水八幡宮の本殿を目指して男山に登ること約30分。標高約120メートル、七曲がりと呼ばれるつづら折りの石段が続く険しい坂道は、運動不足の身には予想以上にキツかった……。
それでも山上にたどり着き、総門の向こうに本殿が見えた時、目の前がぱっと明るくなりました。青空に映える朱色の鮮やかな社殿群はまるで、竜宮城を見ているかのよう。やっぱり歩いてきてよかった。
「道は昔から変わりません」と教えてくださったのは、石清水八幡宮の権禰宜(ごんねぎ)・児玉亮さん。「この男山の参道は、歴代の足利将軍も歩いてきました」。時の戦国大名たちも踏みしめた道。三つの鳥居をくぐり抜け、それぞれに何を思いながら登っていたのでしょうか。
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秋の特別公開に向けて、石清水八幡宮が武将たちにあつく崇拝されてきた点に着目して話を伺い、社殿を案内してもらいました。
2016年2月、本殿を含む10棟の社殿群が国宝に指定されてから1年半あまりが経ち、国内外から観光客が増えるなど注目を集め続けている石清水八幡宮。社殿は1580年に織田信長が修造し、1589年に豊臣秀吉が大廻廊(かいろう)を造営したものです。さらに1606年に豊臣秀頼が本殿を造営し、江戸初期の1634年、三代将軍徳川家光によって建て替えられて完成しました。
■樋を後世まで残した信長の信心深い一面
本殿の名物の一つは、織田信長が寄進した「黄金の雨樋(あまどい)」。どうして雨樋が名物に? なぜ黄金なのか? そこから、信長のあまり表立って伝わっていない一面をうかがい知ることができます。「信長といえば、比叡山の焼き打ちなど神も仏も信じない無頼漢的なイメージを持たれがちですが、実は信心深い方だったようです」(児玉さん)。
屋根と屋根の間に入り込んだ雨水を受けて下に流す、建物の中ではいわば黒衣のような役割の装置。そんな雨樋が寄進されたのは、信長が男山の隣の山崎に滞在した時、石清水八幡宮の雨樋が傷んでいると聞いたことがきっかけです。そこで、家臣に修理を命じます。その後、恒久的に使えるようにと、木製だった樋を唐金で鋳たものに交換されました。
後世に残すための手段として、…