足利義昭が造ったとみられる堀跡=12日午後、京都市上京区、佐藤慈子撮影
織田信長が室町幕府最後の将軍、足利義昭のために築城した旧二条城跡(京都市上京区)で、後に信長と対立した義昭が防御のために造った堀とみられる跡が見つかった。民間調査機関の古代文化調査会(神戸市)が12日発表した。ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、戦国期の日本を描いた「日本史」や書簡に残した記述を裏付ける遺構とみられるという。
旧二条城は、義昭とともに上洛(じょうらく)した信長が1569年、13代将軍・義輝の居城「武衛陣第」跡地に築いた。推定される敷地は南北386メートル、東西366メートル。フロイスの記述によると「はなはだ広大で華麗な建築の宮殿」の建設は「70日間で完了した」とされる。義昭は68年に15代将軍に就いたものの信長と関係が悪化し、武田信玄や浅井長政らと信長包囲網を構築。73年、旧二条城に立てこもったとされる。
調査会によると、堀はマンション建設に伴う発掘調査で見つかり、東西方向に約8メートルの長さで確認できた。幅は最大約7メートル、深さ約3・4メートル。底部の南側が2段に掘られ、北側は急傾斜になっている。堀の縁には土塁のような盛り上がりや、柵の跡とみられる柱列も見つかった。