小学生のころの甲斐拓也選手(左)と兄大樹さん、母小百合さん(小百合さん提供)
2年ぶりに日本シリーズを制したホークス。育成選手から主力捕手に成長した甲斐拓也選手(25)=大分市出身=は、初心を忘れない心と家族の声に支えられ、飛躍の年に日本一をつかんだ。
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甲斐選手は今季途中から、守備に就くとき、ホームベースのそばに指で「心」と書いてきた。大分・楊志館高校時代の先輩マネジャーで、17歳で上咽頭(いんとう)がんで亡くなった大崎耀子(あきこ)さんが好きだった言葉だ。
「あっこさんは、心を一つに、という意味で言っていた。初心を忘れないように。今の状況は当たり前じゃないと、再確認するためにやっています」
楊志館高は、2007年夏の甲子園で8強入りしたが、大崎さんは入院して行けなかった。08年は大分大会1回戦で敗退。大崎さんは秋に亡くなった。08年当時、甲斐選手は1年生だった。
育成ドラフト6位からはい上がり、プロ7年目の今季、ようやく1軍に定着した。だが、秋は各球団が来季への戦力を見定める。これまで競争を思い知らされる季節だった。世話してくれた先輩たちは、1人また1人とユニホームを脱いだ。「母ちゃん、嫌な季節が来たよ」
母、小百合さん(50)はこうこぼす甲斐選手に、電話で「もういいよ、帰っておいで」と慰めたこともあったという。それでも、苦しみながら練習を続ける姿に「開き直っとき」と、励ましてきた。
小百合さんは、甲斐選手が2歳の時から、兄の大樹さんとともに1人で育ててきた。生計を立てるため、タクシーを運転した。兄の背中を追って保育園児で野球を始めた甲斐選手は、幼い頃から捕手が好きで、段ボールで防具をつくって遊んでいたという。
仕事で目が届かない分、「良いことも悪いことも全部話すこと」と言い聞かせてきた。ほぼ毎日電話を交わすのはその習慣だ。今季、103試合に出場したが、甲斐選手は「シーズンを通して、1軍で試合をしないと」と繰り返した。
小百合さんは今年、独立してタクシーの個人営業を始めた。時間の自由が利くようになり、この日はヤフオクドームに駆けつけ、内野席で息子の雄姿を見守った。(甲斐弘史、柏樹利弘)