バイクのオブジェと、制作した音琴さん=長崎市
長崎市の山王神社にある被爆クスノキの枝や幹が、富山県の彫刻師の手によってバイクに生まれ変わり、長崎に帰ってきた。ナンバープレートは「8―9」、前方にあしらったドクロの左目には原子雲が描かれている。平和への願いを乗せたオブジェは、長崎原爆被災者協議会(被災協)が入る建物の2階エントランスに7日、飾られた。
特集:核といのちを考える
制作したのは、富山県南砺(なんと)市の井波(いなみ)地区で活動する音琴(ねごと)冰春(すいしゅん)さん(57)。大村市出身で長崎日大高で芸術を学んだ後、彫刻で有名な井波へ移った。メカ(機械)が持つ力強さにひかれ、バイクのオブジェを中心に作ってきた。
昨年、偶然の出会いが音琴さんと被爆クスノキを引き合わせた。長崎市で造園業を営み、「樹木医」として活動する海老沼正幸さん(68)が会合で富山を訪れ、好きな彫刻を見ようと井波彫刻総合会館へ行った。そこで海老沼さんの長崎弁を耳にした音琴さんが「僕も長崎出身」と話しかけたことをきっかけに、2人は意気投合。海老沼さんは十数年前、山王神社の被爆クスノキの弱った部分を伐採して保管していたことから、「これでぜひ音琴さんに何か作ってほしい」と託した。
音琴さん自身、被爆2世の友人が多く、「伝えなくちゃいけないという思いがあった」。富山県からトラックを片道18時間走らせ、海老沼さんのもとへ木材を取りに行った。その後、半年ほどかけて制作。今年7月下旬に完成させた。以来、富山県内の道の駅で展示していたが、「もともと長崎の木だし、長崎だったら原爆に関心をもって訪れた全国の人が見てくれる」と移すことを決めた。
オブジェは全長約3メートル、重さ約160キロ。初めは仏像にすることも考えたが、「若い人にも目を向けて欲しい」とバイクにした。原爆に遭いながらも生き続ける被爆クスノキを不死鳥になぞらえ、バイクと一体化したデザインで火の鳥を表現した。
また、オブジェには、けん玉や手まり、帽子など、所々に小さな彫刻をあしらった。音琴さんは「戦争を始めて爆弾を投下するのはほんの数人。でも、いつもその被害に遭うのはたくさんの女性や子どもたち」。バイクには「そういう人たちの魂も乗せている」と話す。(田部愛)