ごく短期間、ハンセン病患者が出廷する裁判の特別法廷としても使われたという邑久光明園の恩賜会館=岡山県瀬戸内市邑久町虫明、雨宮徹撮影
瀬戸内海の島にあり、ハンセン病の回復者らが暮らす国立療養所3園が、世界遺産登録を目指すことになった。その取り組みを進めるNPO法人の設立総会が14日、岡山県瀬戸内市で開かれた。感染力が極めて弱く、戦後は薬の普及で完治する病気になったのに、1996年の「らい予防法」廃止まで続いた国の隔離政策。入所者が高齢化するなか、差別の歴史を後世に残そうと活動していく。
国内には青森市から沖縄県宮古島市まで国立13園と私立1園の療養所がある。うち瀬戸内市沿岸の長島にある長島愛生園(あいせいえん)と邑久光明園(おくこうみょうえん)、高松市沖の離島・大島にある大島青松園(せいしょうえん)を「瀬戸内3園」と呼び、今も計300人余りの回復者らが暮らす。ほとんどは入所年数が50年以上で、平均年齢は85歳ほどになる。
愛生園は国立療養所第1号で、1930年に開設された。入所者が消毒用クレゾール入りの風呂に入浴させられた収容施設「回春寮」、複数の夫婦が同居した木造平屋の「十坪住宅」、歴代園長が住んだ「園長官舎」など、開設初期からの施設が現存する。光明園には逃走した人らが収容された「監禁室」などが残る。
NPO法人は「ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会」。設立総会では、理事に3園の入所者の各自治会長、弁護士、学識者、地元メディア関係者らの就任が決まった。国側から愛生園と光明園の両園長も理事に加わり、瀬戸内市は事務局に職員を派遣。長島の対岸にあるため、同様に差別や偏見の対象となった同市の裳掛(もかけ)地区の住民代表も入った。
今後は年明けに登記などの手続…