中国・遼東地域のものとみられる原の辻遺跡出土の腕輪の一部
長崎県壱岐市の弥生集落遺跡、原(はる)の辻遺跡(国特別史跡)で10年前に出土した青銅製品が中国・遼東地域の腕輪の一部であることが、同県埋蔵文化財センターの調べでわかった。同地域の腕輪は国内初の確認例で、弥生時代の日中交流を解き明かす新資料となる。
腕輪は銅釧(くしろ)と呼ばれるもので、中国の史書「魏志倭人伝」に登場する一支(いき)国の首都とされる原の辻遺跡で2007年に出土した。
破片でもあり用途は不明だったが、同センターの古澤義久さんらが再検討した結果、中国遼寧省鞍山市の羊草荘漢墓の出土品と形状や大きさがほぼ一致することがわかった。このほど刊行された「九州考古学」第92号(九州考古学会発行)で報告している。
腕輪の残存部分は長さ4・1センチ、幅1・1~1・2センチ、厚さ2・5ミリ。鋳造でできており、外側にはくぼんだ線が4本ある。中国の出土例から弥生時代後期前半(紀元1世紀ごろ)に流入した可能性があるという。中国では後漢代初頭ごろにあたる。
この時期、中国系の遺物は朝鮮半島北部に置かれた楽浪郡という中国の出先機関を通じて日本列島に流入したとされてきたが、この腕輪は中国でも遼東地域の一部に限られるためここから直接入手した可能性もあり、北方民族の烏桓(うがん)と関係するかもしれないという。複雑な古代の国際交流を物語る貴重な手がかりとなりそうだ。(編集委員・中村俊介)