池村佐一郎さんが使っていた飯盒を受け取った次男の和夫さん(中央)と孫の中山ななみさん。左は日本モンゴル文化経済交流協会会長の佐藤紀子さん=大阪市中央区博労町1丁目 終戦後、モンゴルで抑留された日本兵の男性が看病のお礼として現地の女性看護師に贈った飯盒(はんごう)が26日、大阪市で70年ぶりに家族に返された。女性は「返したい」と言い残し、20年前に死去。手がかりは飯盒に刻まれた「池村」とイニシャルしかなかったが、この話を紹介した新聞記事を読んだ男性の孫が「祖父に違いない」と名乗り出た。 記事は「飯盒 日本兵に返したい」という見出しで16日付の朝日新聞大阪本社版夕刊に掲載。京都市伏見区の中山ななみさん(43)は翌17日、朝日新聞デジタルで記事を見つけた。 「私の旧姓の池村と同じ」と読み進み、「S・I」とイニシャルが刻まれていると書かれていたことから、「英語が得意で、いろんなものにイニシャルを書いていたおじいちゃんに違いない」と確信した。生前に看護師のドルジンさんから飯盒の返却を託された日本モンゴル文化経済交流協会会長の佐藤紀子さん(74)に連絡をとった。 祖父は池村佐一郎さん。戦後、京都市で玩具工場を営み、2002年に87歳で転居した静岡県清水市で亡くなった。 中山さんが京都府庁で軍歴証明を照会すると、池村さんは終戦時、戦闘に必要な軍需品を運ぶ「独立混成第133旅団輜重(しちょう)隊」に所属。1945年12月8日に旧ソ連からモンゴルに送られ、47年10月23日までウランバートルで抑留生活を送った。 佐藤さんによると、寒さと飢えで衰弱していた池村さんは、ドルジンさんから手厚い看護を受け、帰国直前の47年秋、「お礼に」と飯盒を贈ったという。 この日、大阪市中央区の在大阪モンゴル国総領事館で返還式が催され、中山さんと池村さんの次男で父の和夫さん(72)が出席した。ダワードルジ・デルゲルツォグト総領事から飯盒を手渡された和夫さんは「字体は父の筆跡にそっくり。父はお酒を飲むたびに看護師さんの話をしていた。生きているうちにお会いしてお礼を言いたかった。父の墓前に供えます」と話した。 佐藤さんは「当時、日本とモンゴルは敵国だったが、人と人はつながっていた。今年は両国が外交関係を結んで45周年。いま平和な関係にあるから、返却が実った」と喜んだ。 厚生労働省援護・業務課によると、第2次世界大戦後、モンゴルで抑留された日本人軍人らは約1万4千人。うち約1万2千人が復員し、約1600人が現地で亡くなった。(中村正憲) |
「S・I」は祖父に違いない 抑留兵の飯盒、家族の元へ
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