18年ぶりのセ・リーグ優勝を果たし、笑みをみせる阪神・星野仙一監督
星野監督の阪神時代、担当記者が振り返る
ベンチを蹴り上げ、扇風機をたたき壊し、審判にかみつく。一般に「闘将」の印象が強いが、その陰にあった「優しさ」をよく覚えている。
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キャンプや遠征のとき、星野監督は番記者たちと一緒に朝食をとり、情報を交換する。その席に選手を招くことがあった。
阪神監督に就任した2002年、吉野誠という若手左腕がいた。日大から入団して3年目。力はあるが気の優しさが災いし、殻を破りきれないでいた。キャンプ中の朝食会。当時エースの井川慶と吉野が席に招かれた。監督や記者の前で平然と食事を平らげる井川の横で、吉野は緊張して固まっていた。「おまえも井川に負けない球がある。恥ずかしがるな」。監督は優しく、語りかけた。
その夏、横手投げにフォームを変えた吉野は生まれ変わった。「ぶつけても打たれてもええ。攻めろ」。監督の励ましに後押しされ、当時巨人の松井秀喜ら左の強打者を封じ、自信をつけていった。「監督は打たれた後もチャンスをくれた」と吉野。翌03年はチーム最多の56試合に登板し、優勝に貢献。日本シリーズ第3戦で勝ち投手になった時は、監督が場内インタビューで「何より吉野が素晴らしい」と絶賛した。
前監督の野村克也氏に「覇気がない」と酷評された今岡誠にもまめに声をかけ、再生させた。球団事務所で働く女性職員らを食事に招き、「あなたたちも大事な戦力です」とねぎらった。感激して涙を流す人もいたという。
定宿にしていた都内のホテルのレストラン。監督の好物は、メニューにはないオムライスだった。記者との朝食会でも毎回食べた。「おまえら、俺と同じものを食べなくていいんだぞ」と笑いながら、試合の裏話や選手への期待を語った。それが報じられて有名になり、「タイガーオムライス」と正式なメニューとなった。
そんなふうに会合を重ねて、記者を「取り込む」手法には批判もあったが、個人的にはありがたかった。阪神の担当記者は50人以上いて、監督に覚えてもらうのも大変。冗談めかして「朝日のせいで、夏に甲子園を明け渡さないかんわ」などとネタにしてくれた。たまに宿舎に一番乗りした際は、みんなでオムライスを食べる前に2人でコーヒーを飲み、野球を教わった。
1985年の日本一以降、2001年まで最下位10度。「ダメ虎」と言われ、自信を失っていたチームを変えたのは、そんな小さなコミュニケーションの積み重ねだったように思う。
「ああ、しんどかった」。周囲に気を配り、重圧の中で胃を痛め、優勝直前に母を亡くした。甲子園の胴上げインタビューで語った名言を思う。もう、しんどいことはないですね。ゆっくり休んでください。(稲崎航一(2001~03年阪神担当))