星野仙一さんの死去を受け、目を赤くしながら取材に応じた阪神の金本監督
「僕のなかでは関西の父親代わりみたいな方。いまだに受け入れられない」。阪神の金本知憲(ともあき)監督(49)は6日、星野仙一さんの死去を受け、兵庫県西宮市内の球団事務所で取材に応じた。時折、唇をかみながら、思い出と感謝の思いを語った。
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悲報は、昨夜遅くにうわさのような形で耳にしたという。「今朝、正式に聞くまではうそであってほしいなと思いながら、夜中に何回か目が覚めたりしていた。いまだにちょっと受け入れられない」
恩人だ。金本監督は2002年オフ、広島からフリーエージェント(FA)宣言し、阪神に移籍した。このとき、熱心に口説いてくれたのが、監督就任2年目を迎える星野さんだった。毎日電話をかけたといい、決断のタイムリミットが迫った夜は午前3時まで電話を待った。星野さんは後にそう明かしている。
「嫌がる自分を強引に、という方が近いんですけど、ほんとうに根気よく執念をもって僕のことを説得してくれた」。「星野さんが監督でなかったら、間違いなくタイガースに僕は来ていないし、03年と05年のリーグ優勝もなかった。星野さんのおかげでいい思いをさせてもらった」。だから、「僕のなかではほんとうに関西の父親代わりみたいな方でした」。
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