ガッツポーズをする新田佳浩選手(右から2人目)や阿部友里香選手(中央)。荒井秀樹監督(左端)や長浜一年コーチ(右端)も社員として働きながら選手を支援している=東京都品川区の日立ソリューションズ
3月に開幕する平昌パラリンピックに出場予定の男女3選手が所属する日立ソリューションズ(東京都品川区)で10日、壮行会があった。200人を超える社員が集まり「最高の舞台で思い切り楽しんで」とエールを送った。
日立ソリューションズは2004年、日本で初めて障害者スキーの実業団チームを創設し、有望な若手選手を育てるジュニアクラブも置く。
エースの新田佳浩選手はクロスカントリーの2種目に出場する予定で「金メダルを狙います」と活躍を宣言。クロスカントリーのほか、スキーとライフル射撃を組み合わせたバイアスロンにも出場予定の阿部友里香選手は「自分を信じて頑張りたい」と力強く語った。(西村奈緒美、菅沼遼)
2人の息子、新たな力に
ストック1本で雪道を上ったり下がったり。ダイナミックなフォームで前に進んでいく。アップダウンのあるコースを滑ってタイムを競うクロスカントリー。新田佳浩選手(37)は1998年長野冬季パラリンピックに高校2年で出場して以来、5大会連続で代表に選ばれてきた。メダルはこれまでに金2個を含む3個を獲得している。
3歳の時、祖父の達(とおる)さんが運転するコンバインに左腕を巻き込まれ、ひじから先を失った。祖父に心配をかけぬよう、活躍する姿を見せることが原動力だった。達さんが亡くなった2012年以降は引退も考えたが、2人の息子が新たな力になった。
6回目となる平昌パラリンピック。「自分自身に挑む戦い」と語る。競技生活は30年近く、ベテランと呼ばれる年齢になった。何のために競技を続けるのか――。考え抜いた結論は「成長し続けたいから」。若手にも目を配りながら、自分に言い聞かせる。「まだまだできる」
「みんなの気持ちに応えたい」
新田選手らの姿に触発され、障害者スキーに飛び込んだのが大東文化大の阿部友里香選手(22)だ。岩手県山田町の出身で、2011年3月11日の東日本大震災で自宅は全壊した。家族は無事だったが、父は仕事で地元に残り、母と兄弟は学校のある宮古市に。祖父母は盛岡市の親戚宅に引っ越した。
生まれた時から左腕が自由に動かせない。テレビで同じ障害者が世界を相手に競い合う姿を目の当たりにし、「いつかあの舞台で」と夢見てきた。
14年のソチ大会に続き、2度目の出場。大会期間中、3・11を迎える。練習が苦しい時、「山田の人たちはもっと頑張っている」と思いながら踏ん張ってきた。地元が少しずつ復興している様子にも元気づけられた。地元への思いを問われた阿部選手は表情を引き締め、こう話した。「応援してくれるみんなの気持ちに応えたい」