男子日本代表のSC軽井沢クと並び、笑顔を見せるウォーリー・ウルスリアックさん(中央)
カーリングを日本に広め、「日本カーリングの父」と呼ばれるカナダ人がいる。元世界王者のウォーリー・ウルスリアックさん(88)。初来日から約40年、日本が男女ともに平昌(ピョンチャン)五輪出場を決めたことを喜び、「氷の上にまいた種が、花を咲かせた。この花はたくさんの種を生むことになるよ」と語った。
2018平昌オリンピック トップ
北海道庁に招かれ、ウォーリーさんは1980年に北海道池田町を訪れた。米国、スイス、スウェーデンなどへも技術指導に行ったことはあったが、競技自体が知られていない場所で教えるのは初めてだった。
伝えたのは三つ。①仲間同士で協力する大切さ②楽しんでプレーすること③どんな年齢の人でも挑戦できるスポーツだということ。「ずいぶん一緒に酒を飲んだ。友情を育めたことが、普及に成功した要因だと思う」。6年間にわたって旧常呂町(現北見市)を中心に、東京、長野などへも呼ばれ、その後は計50人以上の選手をカナダの自宅に招いて指導した。
来日から4年後に日本カーリング協会が発足し、「教え子たちは日本国内だけじゃなくて韓国、中国へも熱心に教えに行ってくれた」。北米、欧州に続いてアジアの国々が世界連盟に加わったことで「3大陸で広く行われている競技」とする冬季五輪の資格が満たされた。カーリングは98年長野五輪から正式競技に。「五輪競技になったのは、日本のおかげだと思っている」と言う。
かつては消防署勤務だったウォーリーさんだが、その後は祭りの出店で菓子を売って生計を立てた。現在、世界選手権出場チームを決めるカナダ選手権で優勝すると、賞金22万5千ドル(約2500万円)と2年間のスポンサー契約が付くが、「私が優勝した61年は、トロフィーと置き時計しかもらえなかった時代」と笑う。「カーリングをやってきて一番のご褒美は日本に行けたこと。北海道で過ごした時は、人生で最高の時間の一つ。お金には代えられない経験だ」
3年前にウォーリーさんの自宅が全焼した時には、旧常呂町のカーリング関係者が義援金を集めて届けた。昨年4月には政府から旭日双光章が贈られた。(渡辺芳枝)