女子滑降座位で2位になり、笑顔を見せる村岡桃佳。右は優勝したドイツのアナ・シャフェルフーバー=10日午前、加藤諒撮影
(10日、平昌パラリンピック・パラ アルペン)
特集:平昌パラリンピック
成田童夢に引退決意させた弟 パラスノボ・緑夢が平昌へ
スタート前、村岡の心は揺れていた。
7選手が出場したアルペンスキーの女子滑降座位。4番手スタートの村岡の前で、2人の選手が雪煙を上げて派手に転倒した。「無難に滑れば、もしかしたら表彰台に乗れるかな」。そんな考えが頭をよぎった。
「やっぱり勝ちにいかないと」。強気の自分に「ちょっと無理かも」という弱気の自分がささやいた。
スタートライン。「やっぱりベストを尽くす。攻めの滑りをするしかない」。覚悟を決めた。標高差650メートル下のゴールを目指して飛び出した。想像以上の凸凹なコース。恐怖心もあった。「いつ転倒してしまうか、本当に不安で」。それでも、確かな重心移動と、跳ねるような滑走スタイルでぐんぐん加速した。
アルペン種目の中で最も速度が出て、危険も伴う滑降。急斜面を時速100キロ前後で滑り降りるとき、シートに連結した一本のスキー板だけが頼りだ。17歳で初出場したソチ大会では出られなかった種目だ。
それから4年。パラ選手で初めて早大のトップアスリート入試に合格し、他のスキー部員と寮暮らしをしながらひたむきに技術を磨いた。「4年間のすべてがここにつながったと思う」
女子滑降の銀メダルは、今大会の日本選手団団長、大日方邦子が2006年トリノ大会で獲得して以来3大会ぶり。アルペンでは男女を通じて日本勢の歴代最年少メダルという勲章も。
「日本チームに勢いをつけたかった」。開会式で旗手を務めた21歳の、有言実行の快挙だった。(波戸健一)