本塩釜駅周辺に船が打ち上げられている=宮城県塩釜市、東北大学提供
商店街に打ち上げられた無数の船――。
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1960年5月24日のチリ地震津波のときに、宮城県塩釜市の中心部「海岸通り」で撮られた一枚だ。海から数百メートルのところに位置し、当時の国鉄仙石線・本塩釜駅からもすぐそばの場所だ。KHB東日本放送、朝日新聞、首都大学東京の渡邉英徳研究室のプロジェクトによりカラー化された写真では、当時の商店街の様子が鮮明にわかる。
この商店街から歩いて2、3分のところにある老舗和菓子店「丹六園」の丹野貴美子さん(71)は、「突然の津波で、何が起きたか全然わからなかった」と振り返る。
当時、丹野さんは中学生。店舗の2階で、家族とともに暮らしていた。
この日は試験勉強のためにいつもより早く起床していた。午前6時過ぎ、「ゴォー」という地響きが聞こえ、2階の窓から外を見ると、自宅前の水路に「びょうぶのような高さ2、3メートルある真っ黒い波が押し寄せてきていた」。
慌てて父親のいた1階へ降りると、すでに店内が水浸しになっていた。床上30~40センチの浸水だった。水路に停泊していた数十隻の船は、あっという間に上流に流されていったという。
このとき、塩釜市内では最大で2・7メートルの津波を観測。当時、津波警報はなく、丹野さんはチリで地震があったことも知らなかったという。被害を受けた街並みを見て、がくぜんとしたという。
東日本大震災では、丹野さん方は1・3メートル浸水。海岸通りの商店街は大きな被害を受けた。丹野さんは「津波の恐ろしさは決して忘れてはいけない。(チリ地震津波の写真を見て)改めてそう思いました」と語った。