29年前の今日、平成元(1989)年4月1日、政治部に異動して竹下登首相の総理番を命じられた。
首相と大蔵省の悲願だった消費税が始まった日でもあった。だが初日から、首相を追いかけ回す番が探るのはただひとつ、「いつ辞めるか」だった。既に前月半ば内閣支持率は15%に急落していた。
未公開株を巡る贈収賄に司直が切り込んだリクルート事件が政権を激しく揺さぶっていた。前年昭和63(88)年から首相は幾度もリセットを試みた。関係者の証人喚問に応じ、自民党に政治改革の立案を命じ、内閣を改造した。だがふたが出来ない。株譲渡問題で宮沢喜一副総理・蔵相が辞任した12月、支持率は30%の大台を切った。明けて2月の参院福岡補選で自民党は大敗、3月にかけリクルートとNTTの前会長、労働、文部両省の元事務次官らが次々と逮捕された。
国会対策の第一人者だった首相と権力派閥竹下派をして野党共闘を突き崩せない。新年度予算は4月半ばを過ぎても参院はおろか衆院も通過していなかった。
とどめは首相自身の疑惑だった…