土砂崩壊から1週間を迎える現場は、捜索活動が雨により中断されていた=2018年4月17日午後4時21分、大分県中津市耶馬渓町金吉、長沢幹城撮影
土砂にのみ込まれた山あいの集落に、かつての暮らしは戻ってくるのか。大分県中津市耶馬渓(やばけい)町の土砂崩れから、18日で1週間。現場では3人の遺体が見つかり、残る安否不明者3人の捜索が続く。
県によると安否が分からないのは、江渕めぐみさん(52)▽江渕さんの娘の優さん(21)▽岩下アヤノさん(90)。15日夜に現場で見つかった遺体は、めぐみさんの母、橋本アヤ子さん(86)と17日に確認された。
アヤ子さん、めぐみさん、優さんは3世代で暮らしている。目の不自由なアヤ子さんを、めぐみさんと優さんが支えていた。
優さんは大分県日田市の高校を卒業後、ドラッグストアなどで働いた。森平雅一教頭(59)は、文化祭や体育祭などに積極的に取り組む姿を覚えている。バスで片道40分以上かけて通学し、3年間、無遅刻無欠席だった。部活動はせず、放課後も残って勉強に励んだ。授業だけでは取得が難しい文書処理の検定の1級にも合格した。
今月3日、他の教職員たちと市内の飲食店にいたときに偶然、再会した。変わらない笑顔で「ドラッグストアの登録販売者の資格を取ろうと頑張っています。もうすぐ結婚もします」と報告してくれた。
11日の崩落発生以降、学校では教職員たちがテレビのニュースを心配そうに見つめてきた。森平さんは「相当ながんばり屋さんだった。どこかに遊びに行っていて、ひょっこり現れないかなと思っている」と話した。
親類の話では、めぐみさんは以前、介護の仕事をしていた。大分市内からアヤ子さんを呼び寄せた後に退職し、アヤ子さんの介護に専念した。親類の江渕稔さん(65)は「一生懸命に世話をしていた。本当に思いやりがある」と話す。
福祉関係の男性(57)は、自宅を訪問したときにそろって応対し、入浴する際も手を貸してくれるめぐみさんと優さんが印象に残っている。アヤ子さんは目は不自由だったが、耳はよく聞こえ、元気な様子だった。「私は目は見えないけど、その人がどんな人かは敏感にわかるのよ」と言っていたという。
もう一人の安否不明者、岩下アヤノさんは一人暮らし。週2回通う福祉施設の玉麻(たま)涼子さん(62)によると、最近のアヤノさんは杖が手放せず、好きな農作業もできなくなっていた。「畑に行けんから」と庭にプランターを置き、ホウレンソウを育てていた。
「どこにも出られんようになったら、どげえしよう」。そんな不安を口にする高齢のアヤノさんにとって、心強い味方が江渕めぐみさんら同じように被災した近所の人たちだった。夕食のおかずを差し入れ、車で歯医者に送ってくれた。
「めぐみさんらがいるけん、一人で暮らしていける」。そう感謝していた絆を予期せぬ災害が襲った。(大畠正吾、前田朱莉亜、新屋絵理)