東日本大震災の被災地訪問で来日したカル・リプケンさん(左)と記者会見する衣笠祥雄さん=2011年11月
衣笠祥雄さんは、ぼくが1990年に入社した時には朝日新聞社嘱託だった。初めてあいさつした時から気さくに接し、色んな話を聞かせて下さった。
1997年8月、母校の平安(現龍谷大平安)高が第79回全国高校野球選手権大会の決勝に進出した。阪神甲子園球場に駆けつけた衣笠さんは「信念を通し良いチームを作ってくれた」と原田英彦監督をねぎらい、川口知哉投手の熱投に「投手の美学のようなものを感じた」という観戦記を紙面に残した。
古巣のマジック「早すぎる」
古巣のプロ野球広島が25年ぶりのリーグ優勝を目前にしていた一昨年9月、球場で会うと、「早すぎるよ」とマジックが一気に減ったことを残念がった。「他球団も意地を見せなきゃ。優勝への重圧を感じないまま終わっちゃう。選手がそういう経験もしないと次につながらない。プロ野球界全体にとってもマイナスだよ」
野球に真っすぐ向き合う選手・関係者を応援し、いつも野球界の発展を願っていた。
2011年11月には、大リーグで2632試合連続出場の記録を打ち立てたカル・リプケンさんと一緒に、東日本大震災の被災地を訪れた。岩手県大船渡市で開催された野球教室に、2215試合連続出場の日本プロ野球記録を持つ衣笠さんも参加したのだ。
その後の「鉄人対談」では「子どもたちにまた嫌なことがあった時、あの時は楽しかったなと思い出してくれたら、それだけで君が米国から来てくれた価値があると思う」とリプケンさんに礼を言い、「復興への道のりは平らではないだろうが、スポーツをしたり、スポーツを通じて誰かと出会ったりすることの楽しさを、一つひとつ積み重ねていってほしい」と願っていた。
「遊びながら野球を」
そんな「鉄人」が最後に残したメッセージは「野球を楽しもう」だった。同学年の高嶋仁・智弁和歌山高監督、中村順司・名商大総監督と野球談議をしてもらった2月28日、話は思い出話から野球界の現状・未来へと広がった。
「今の子どもは監督が来ないと何をしていいか分からないらしいね。遊びながら野球を覚えて欲しい。大人がそういう雰囲気を作ってあげて。ジャンピングスローの練習をしたっていいんだよ。野球って楽しいんだから」
23日、71歳で他界。一つひとつの言葉を心に刻みたい。(編集委員・安藤嘉浩)