今年の舞台には、初音ミクと同じクリプトン・フューチャー・メディアのボーカロイド・鏡音リンも登場した。公演のテーマ曲「天樂(てんがく)」を歌っている。屋号は「鏡屋」=(C)超歌舞伎
「みんな、ありがとう! 俺は…」
歌舞伎とミク、ファン咲かせた桜 獅童さんの闘病支える
劇の幕切れ間際、歌舞伎俳優・中村獅童さんは、5千人収容の客席通路を縦横に走り回った後、舞台に駆け上る直前で振り返り、一瞬の間をおいて叫んだ。
「帰ってきたぞ!」
獅童さんとバーチャルシンガー初音ミクが共演する「超歌舞伎」。千葉・幕張メッセで4月28、29日に上演された通算三つ目の演目「積思花顔競(つもるおもいはなのかおみせ)」終演時の一場面だ。がんの病床から帰還した花形俳優が、支えてくれたファンに向けた感謝の言葉だった。
超歌舞伎ファンから寄せられたあたたかい声に、闘病中、強く励まされたことを、獅童さんは折に触れ語ってきた。回復後初となる今年の超歌舞伎のキャッチコピーは「これは、愛に似た恩返し」。この言葉通り、舞台はまるで、ファンへの恩返しのようなつくりになっていた。
獅童さん演じる主役・安貞(やすさだ)は、非業の死を遂げるが、最後に精霊の力によってよみがえる。復活した安貞は会場2階席上手に姿を現し、高らかに告げる。
「いま、数多(あまた)の人の言の葉の力得て、舞い戻ったる花幕張のこの舞台」
「幕張の舞台」とはもちろん超歌舞伎のこと。安貞の復活と獅童さんの帰還が、はっきり重ね合わせられていた。
30代のハンドル名ミネルヴァさんは「せりふに託して、僕たちにメッセージを送ってくれていると感じた」という。歌舞伎には無縁だったが、超歌舞伎で興味を持ち、公演や映画の上映に2年間で20回以上通った。
「数多の人の言の葉」は、2016年の最初の公演から、超歌舞伎の演目に必ず盛り込まれている定番のせりふだ。超歌舞伎は動画サイト「ニコニコ動画」が主催するイベント「ニコニコ超会議」の目玉演目で、ユーザー一人一人のコメントによって成立するニコニコ動画を象徴するせりふになっている。
獅童さんは昨年の超歌舞伎後にがんを公表。その10日後に歌舞伎ファンとミクファンが集まり、見舞いのメッセージをカードに書いて贈った。ミネルヴァさんもメッセージを書いた一人だ。獅童さんはそれを病室に飾って心の支えにしたという。
ファンたちのこの集まりも「数多の人の言の葉」が発端になっている。病気が公表されると、ツイッターに「#中村獅童に数多の人の言の葉を」というハッシュタグが生まれ、超歌舞伎で結びついた歌舞伎ファンとミクファンらの間で拡散、見舞いの言葉が次々と書き込まれた。
集まりを呼びかけた20代のハンドル名キヨさんも「あのせりふにはぐっときた」と話す。「実際にカードに書いた僕らだけでなく、同じ思いを抱く人たち一人一人へのメッセージだと感じます」
初演後の記者会見で獅童さんは「数多の人の言の葉が、病気に打ち勝つエネルギーになった」と語った。「そういった思いすべてを、あのせりふにこめました」
ニコニコ動画を示すものとして生まれたこのせりふはいま、一人の名優と無数のファンを結ぶ絆の象徴になった。
その「数多の人の言の葉を」のせりふを語り終えると、獅童さんは両手にペンライトを高く掲げ、「行くぜー!」と雄たけびをあげた。アリーナ席に駆け降り、走り回りながら、「みんな立て!」「暴れろ!」と客席に呼びかける。会場は、ファンが振る色とりどりのペンライトで埋め尽くされ、今年の公演のテーマ曲「天樂(てんがく)」が鳴り響く中、獅童さんの復帰を熱狂的に祝い続けた。
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幕切れ近くの安貞(獅童さん)のせりふは次の通り。
「いま、数多の人の言の葉の力得て、舞い戻ったる花幕張のこの舞台。天樂の調べにあわせ、この安貞が狂色(きょうしょく)の葉が咲き誇る、新たな世界へ導きゆかん。新たな世界へ導きゆかん」(脚本・松岡亮)(丹治吉順)