インタビューに答える宮沢和史
「島唄」で知られるミュージシャンで、甲府市出身の宮沢和史が、2~6日に川崎市で開かれる「はいさいFESTA2018」で、沖縄民謡の企画をプロデュースする。12日には国立劇場おきなわで三線音楽公演を演出。若い唄者(うたしゃ=歌い手)の育成に力を注ぐ宮沢に、沖縄民謡への思いを聞いた。
【特集】沖縄はいま
「若い人たちに演奏の機会を与えて大勢に聴いてもらい、モチベーションを上げて民謡に精進してもらう。その裏方になりたいと、ずっと漠然と思っていました」と宮沢は語る。
THE BOOM(ザ・ブーム)のボーカルとして長く活動した宮沢が「裏方」とは意外だが、その背中を押したのは、2011年の東日本大震災だった。「いつかやろうと思っていても、できないかもしれない」と、翌年から沖縄民謡のアーカイブ化に取り組む。5年近くかけて約260人の唄を聴き、有望な若手たちと出会った。
「民謡界もいろいろな流派や協会があって、県内の人が声をかけても勢ぞろいは難しかったでしょうね。僕は県外の人間なので、フラットに集まってくれたのだと思います」
245曲を収録したCD17枚組みの「沖縄 宮古 八重山民謡大全集(1)」を、沖縄県内の図書館や学校に寄付した。さらに、ライフワークとして、三線の棹(さお)になる黒檀(コクタン)の木を植樹する活動も始めた。
なぜ、そこまで沖縄民謡の継承に力を注ぐのか。
好きなんですよ、それ以外ない
「好きなんですよ。それ以外何…