事件について語る土師守さん=2018年5月14日、神戸市中央区
1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、小学6年生だった土師(はせ)淳(じゅん)君(当時11)が亡くなってから、24日で21年を迎える。父の守さん(62)は命日を前に、朝日新聞の取材に応じた。当時14歳だった加害者の男性(35)から毎年届いていた手紙は、今年はまだ届いていないという。
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「手紙を書くということが、自分が起こした残忍な事件に向き合う唯一の方法であり、遺族との唯一の接点だったはずだ。書き続けてほしかった」。毎年、2~3月に手紙は届いていたといい、「今年はもう来ないでしょう」と話す。
男性は2004年に医療少年院を仮退院した後に手紙を送り始めたが、15年に突如、遺族に知らせずに「元少年A」として手記「絶歌」を出版した。守さんは「遺族をさらに苦しめる、二次加害だ」と強く抗議し、16、17年は手紙の受け取りを拒否した。
男性の手紙を読む作業は、精神的な負担が大きかった。それでも「なぜ淳の命が奪われたのか」を知りたい。それが親の責務と思い、読み続けてきた。
「私が受けとらないことと、彼が書かないことは別。ずっと受けとらないわけではない。何年、何十年かかるか分からないが、彼が自分なりに考える時が来てくれたらと思っていた」。手記の出版で、すべてが台無しになったと感じている。
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