ディトリス・ベルトさんの自宅から数十メートル先にある家の前に、銃で撃たれ死亡した元住人の男性を悼んでぬいぐるみが供えられていた=ワシントン、ランハム裕子撮影
米国の首都ワシントンはかつて黒人住民が大半を占め、「チョコレートシティー」と呼ばれた街でもある。ホワイトハウスから車で5分ほど走ると、街の風景が一変する。(ワシントン=五十嵐大介)
クレーンが乱立する中心街を抜け、アナコスティア川を渡ると、低所得の黒人が多く住むバリーファーム地区だ。1940年代に建てられた集合住宅が並ぶ。扉の多くに板が打ち付けられ、白いペンで「くたばれトランプ」と書かれた落書きが見える。
「当局は我々を追い出そうとしている」。この住宅で暮らすディトリス・ベルトさん(33)が話す。
ワシントン市議会が2006年、老朽化した約440世帯の公営住宅を取り壊し、新しい集合住宅をつくる計画を決めた。金融危機後の財政難で遅れたが、すでに約300世帯が退去、近く取り壊しを始める。
市は低所得者と中間層が暮らせる「混合住宅」を建てるとしているが、ベルトさんら一部の住民は立ち退きを拒み、市を相手に訴訟も起こした。
ベルトさんは11歳の時、母親とここに来た。今は娘と暮らす。歯科助手の年収が約3万ドル(1ドル=111円)。月約600ドルの家賃は払えるが、「新しい住宅が建てば家賃が上がって戻れなくなる」。
背景に不動産価格の高騰
全米に先駆けて奴隷制を廃止したワシントンでは南部の黒人らが19世紀から移り住み、白人との混住が進んだ。1968年、公民権運動を主導したキング牧師が暗殺された後にワシントンで暴動が相次ぎ、多くの白人が流出。住民の7割以上が黒人となった。だが2010年代半ばには約60年ぶりに半数を割った。
背景にあるのが不動産価格の高騰だ。金融危機で下落した住宅価格が再び上昇。弁護士など白人富裕層が移り住み、中心部では建設ラッシュが続く。低所得の黒人が多く住んでいた地区で再開発が広がり、黒人住民は郊外への移住を迫られている。都市の住宅価格高騰で低所得者が住めなくなるのは、北米各地で起きている普遍的な現象だ。
ホワイトハウスは「別世界」
一昨年のワシントンの白人の世帯収入(中間値)は12万ドルを超えたが、黒人の世帯収入は3万8千ドルで前年から1割減った。黒人の貧困率は約3割にのぼる。
ワシントンは16年の大統領選で9割以上が民主党のクリントン氏に投票。過去50年、共和党候補が上回ったことはない。ベルトさんはトランプ氏の減税策について「富裕層のためになっても、我々への恩恵になるとは思わない」と話す。ホワイトハウスは「全くの別世界に感じる」。
川の東側は犯罪と隣り合わせでもある。ベルトさん宅の向かいの家の前に、クマのぬいぐるみや空き瓶が飾られている。15年8月、ここで24歳の男性が銃で撃たれた。ベルトさんは「殺された人も殺した人も知っている。こうしたことが多く起きてきた」と言う。
昨年のワシントンの殺人事件件数は116件。8割近くが黒人が多く住む東部地区で起きた。
「負の連鎖」断ち切る動きも
地域を活性化しようと取り組む人々がいる。
キング牧師を記念する祝日の1月15日、バリーファームや隣のアナコスティア地区でパレードがあった。トラックの荷台に若者が乗り込み、大音量の音楽と共に歌う。ワシントンの黒人地区で生まれた「ゴーゴー」と呼ばれる音楽だ。
ロン・モーテンさん(48)が、会場を忙しそうに走り回っていた。
モーテンさんは高校時代に薬物の密売に手を染めた。兄弟が銃で殺され、自分も何度も殺されかけた。10代から4年間過ごした刑務所で高卒資格を取り、ワシントンの若者の暴力問題にかかわるようになる。ギャングの抗争を和解させ、若者の支援を進めた。
「傷ついた人は、人を傷つける。私の父も祖父も刑務所に行った。この連鎖を断ち切りたかった」
16年にはモーテンさんらもかかわり、この地区の同性愛者の黒人ギャングを描いた映画「チェッキット(Check It)」が作られた。個性派俳優スティーブ・ブシェミ氏が制作に参加。モーテンさんの事務所の一角ではギャングの元メンバーらによるファッションブランドのTシャツなどが売られている。近くには黒人が経営する書店やアクセサリー店もできた。
モーテンさんは「ワシントンではいつも外からやってきた人が地元の人を追い出してきた。我々の課題は、人種に関係なく協力し合って地域を変えることだ」と話した。
「人種間の亀裂、深まっている」
人種と民主主義を切り口にワシントンの歴史を読み解いた「チョコレートシティー」の著者で、メリーランド大学のデレク・マスグローブ准教授に聞いた。
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1964年に公民権法が成立し、黒人らマイノリティーは法的平等を手に入れました。しかし雇用や富の分配での平等は遅れた。食堂で差別されずに注文はできても、買うお金を黒人は持てずにいたのです。
その後、白人が都心から郊外に移り住む「ホワイト・フライト(白人逃避)」が起きました。混住が進んでいたワシントンでも貧しい黒人が都心に取り残されました。
それでも、人種の別を超え労働者として団結を目指す「水平的連帯」の機運はまだありました。節目は80年代の共和党レーガン政権。愛国心や伝統的家族が重視され、価値観や人種のような「垂直的な分断」が連帯を壊したのです。
オバマ政権は真の平等実現への出発点として黒人に希望を与えました。しかし白人の多くは米国が人種問題から卒業した終着点と受け止めた。「もう不平は言うな」と煙たがる空気すら広がりました。
公民権運動から半世紀。人種間の亀裂はむしろ深まっています。(聞き手・沢村亙)