西城秀樹さんの告別式で弔辞を読む野口五郎さん=2018年5月26日、東京都港区の青山葬儀所、代表撮影
西城秀樹さんの告別式で野口五郎さんが読み上げた弔辞は次の通り。
「秀樹を兄貴と」郷ひろみさん、最初で最後の手紙全文
「秀樹」芸名から法名に 告別式 弔辞は野口さん郷さん
◇
秀樹、君が突然去ってしまったことを知ってから何日が経っただろうか。皆さんに、気持ちの整理がつくまで少し時間を下さい。そうお願いしたのだけど、どうやってこの現実を受け止めて良いのか。いまだに君の言葉をいろんなことを思い出して、泣いてばかりいる。
秀樹との46年間は、簡単に語りきれるものではありません。こんな風に君への弔辞を読むなんて考えてもいなかった。僕にとって、君は本当に特別な存在だった。
ある時は兄のようでもあり、ある時は弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルでもあって、いつも怒るのは僕で、君は怒ることなく全部受け止めてくれて。いま思うと僕と君との違いは、心の大きさが違うよね。つくづくそう思うよ。いつも僕が言うことを大事に大事に聞いてくれて、何でそんなに信用してくれていたの。
訃報(ふほう)を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。秀樹の歌で「ブーメランストリート」という曲があって、ブーメランだから「きっとあなたは戻って来るだろう」って歌詞だけど、でも戻ってこなかった人を、アンサーソングとして「ブーメランストレート」ってどう、って言ったら、それ良いねって、秀樹、大笑いして。そしたら彼本当に「ブーメランストレート」っていう曲を出してしまったんだよ。
君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレーから突然「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で、五郎、来てくれたね、君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかなってそう思ったよ。
30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、その時の曲を作って欲しい」って、突然言い出した。
「秀樹、僕は人の曲は作らないって知ってるだろ」
「うん、だから作って」
「秀樹、だから作っては日本語変だから」
「うん、最後にみんなで歌う曲作って欲しいんだよ」
「秀樹、悪いけど無理だから。それ出来ないから」
「分かってる。一応締め切りはいついつだから」
「秀樹、それ出来ないからね」って別れたのに。
締め切り日ぎりぎりにパジャマを着て譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで僕が作ってくるのが当たり前のように、玄関先で「ありがとね」って君は笑顔でひと言。完全に見透かされてるよね。
今年になってから、その曲がシングルカットされてるのを知って、僕はそれまで知らなかったんだよ。シングルカットされているのは。君のマネジャーにお願いして、音源もらって、マルチがないからCDから君の声だけ取り出して、今年2月の僕のコンサートでデュエットした。
なぜ今年だったんだろう。不思議でならない。
コンサートを見に来てくださった君のファンも喜んでくださった、って奥さんから聞きました。
デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなければ、そして次の高みを目指さなければと考えていた。その方向が僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決してアクション歌手ではないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを、僕は知っている。
1993年、初めての「ふたりのビッグショー」での共演。一緒に歌った「Unchained Melody」「Smoke Gets In Your Eyes」ハーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良く決めるのは秀樹。でも僕はそんな秀樹が大好きだった。本当に格好良いと思っていた。
お互い独身時代が長かったから何でも話すようになってゴルフも一緒に行った。君が車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりとみそ汁を用意して、夫婦かなんて言いあって。僕が「秀樹、結婚するから」って言った時の驚いた顔を忘れない。2月に僕が披露宴をしたときに、「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。あ、こいつ結婚するって。案の定、5カ月後に美紀さんと結婚した。
秋も深まったある日、妻が「もしかして子どもが出来たかも」と言いだし、驚いた僕は明日病院に行って検査してもらおうと二人で話した。そんなとき、君から突然の電話。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子どもが出来た」。生まれてみれば同じ女の子で君んちが6月3日、僕んちが6月5日。まじかこれ。当然娘たちの初節句、ひな祭りも一緒に祝ったよね。
3年前、秀樹の還暦パーティーに出て、サプライズでケーキを持ってステージに出させて頂いた時の秀樹のびっくりした顔、今でも忘れられません。
さかのぼること44年前、1974年。この年僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん君は欲しかった賞だし、当然うれしかったと思う。でも、君は僕の前では喜んだりしなかった。僕を気遣ったんだと思う。それから2年後、二人で受賞した。そのときは握手して二人で抱き合った。
そして40年後、還暦パーティーで僕が「抱いていいか」。「何だよ」と言われたけど、僕はそんな君を抱きしめた。その時、君は僕のことを一瞬抱きしめ返そうとした。その瞬間に君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で、「秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」そう思った。それと同時に、僕の全身が震えた。こんなぎりぎりで立ってたのか。こんな状態で、ファンの皆さんの前で立ってたのか。そこまでして、立とうとしていたのか。なんてすごいやつだ。
彼の大きさに驚いて、一瞬頭が真っ白になって、彼のコンサートなのに、サプライズで来ている僕が「西城秀樹です」って秀樹のファンの皆様に彼を紹介してしまった。
秀樹ほど、天真爛漫(てんしんらんまん)という言葉がぴったりな人は僕はこれまでに会ったことがない。何事にもまっすぐで、前向きで、おおらかで。出会う人を全て魅了する優しさと全てを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩がどんなにたくさんいたか。僕はうらやましかったよ。
僕もひろみも、秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。おまえの分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに。
秀樹、お疲れ様。
そして、ありがとう。
もう、リハビリしなくて良いからね。
もう頑張らなくて良いから。
君のかわいい子どもたち、家族を、いつも見守ってあげて欲しい。そしておまえの思うラブソングを天国で極めてくれ。
秀樹、お疲れ様。
そしてありがとう。
平成30年5月26日、野口五郎。