羽生結弦選手に折り鶴でできた表彰状が贈られた=4月22日、仙台市提供
フィギュアスケートの羽生結弦選手(23)に4月に贈られた1枚の表彰状。その元の姿は、復興を願って仙台市内の小中学生が折った鶴だった。仙台の老舗紙店が、震災の記憶の継承を願い、仙台七夕で飾られた折り鶴を再生紙としてよみがえらせた。
羽生結弦選手「自分しか味わえない光景」 地元パレード
表彰状は、4月のパレード出発前に郡和子仙台市長が羽生選手に手渡した。66年ぶりの五輪連覇をたたえた文字の間には、ところどころに薄紅色や黄色が混じり、彩りを添えている。2017年の仙台七夕で飾られた折り鶴の色の名残だ。
2011年8月の七夕で、震災直後に全国から寄せられた支援に感謝するため、折り鶴の吹き流しを飾ろうと校長会が発案。市内の小中学校や特別支援学校の子どもたちが折った鶴を飾った。それから毎年続けられ、17年の七夕には約8万人が8万8千羽を折った。仙台市教育センターによると年約300万円の経費がかかる。10回を数える20年までの継続は決まっているが、その後は未定だ。
その鶴を再生紙にしたのは、仙台市若林区の鳴海屋紙商事。創業135年の老舗で、仙台七夕の吹き流しの7割を作っている。菅谷宗和社長(49)は17年の七夕で1枚の短冊に目を留めた。「あの日小学二年生だった私は中学三年生。笑顔と共に生きています」
菅谷さんはこうひらめいた。「中学最後になる七夕飾りの鶴を卒業証書にして生徒たちに返せないか」。七夕伝統の七つ飾りの一つ「屑(くず)かご」が伝える、「物を粗末にしない」という教えに通じるとも考えた。
手作業で折り鶴を一つ一つ針金から外す必要があり、手間とコストがかかる。17年末に再生紙が完成し、「仙臺(せんだい)七夕祈織(いおり)~2017」と名付けた。校長の名刺に使われたり、ノートの表紙になったり。そして羽生選手への表彰状にも使われることになった。
「記憶を継承していく活動を絶やしてはいけない」と菅谷さんは話す。震災直後は紙が入手できず、吹き流しの鶴はほとんど白の折り鶴だったという。震災を経験していない子どもたちも、鶴を折れば思いは深まる。21年以降は折り鶴の吹き流しを続けるかどうか決まっていないが、菅谷さんは継続のために売り上げから寄付を検討している。(山田雄介)