手塚治虫文化賞短編賞を受賞した矢部太郎さん(右)。左は手塚治虫さんの長女・手塚るみ子さん=2018年6月7日午後7時58分、東京・築地、西岡臣撮影
第22回手塚治虫文化賞の贈呈式が7日、東京・築地の浜離宮朝日ホールであった。手塚治虫生誕90周年記念対談も開かれ、「大家さんと僕」で今年の短編賞を受賞した芸人の矢部太郎さんと、手塚治虫さんの長女・手塚るみ子さんが「治虫さんと僕」と題して語り合った。主なやりとりは以下の通り。
手塚 先ほどの贈呈式では、選考委員の漫画家・里中満智子先生が「大家さんと僕」をベタ褒めされていました。
矢部 聞いていて泣きそうになりました。
手塚 矢部さんのスピーチも感動的で、私も泣きそうになりました。緊張されました?
矢部 1人でこんなに話したの初めてです。僕にこんなに尺をくれる番組ないですし。
手塚 漫画を描くのはアシスタントなしでお一人で?
矢部 はい。
手塚 スピーチでは、手塚が才能ある若い作家に嫉妬したエピソードを披露されて、矢部さんの作品も嫉妬されたらうれしいとおっしゃっていました。私は本当に嫉妬したと思います。矢部さんの作品は、手塚のデビュー作「マアチャンの日記帳」に雰囲気が似ています。手塚が読んだら懐かしいと思いつつ「俺でも描けるよ。俺も原点に返る。まずは大家探しだ」と言い出すと思う。トキワ荘には大家さんはいたのかしら。
矢部 その作品めちゃくちゃ読みたいです。
手塚 手塚のファンクラブに入ってくださっていたとか。
矢部 僕が小6だったか中1だったかの頃です。手塚さんがお亡くなりになった後、国立近代美術館であった手塚治虫展に衝撃を受けました。
手塚 手塚作品に触れられたきっかけは?
矢部 藤子先生の「まんが道」です。それまでも「ブラック・ジャック」とかを読んでいましたが、「まんが道」を読んで手塚先生のすごさ、革新的なことがよく分かりました。
手塚 矢部さんの世代は藤子先生経由で手塚を知ってくださる方が多く、藤子先生には頭が上がりません。手塚作品で特にお好きなのはありますか?
矢部 「火の鳥」です。これも僕の世代の「あるある」だと思うのですが、学校の図書室に置いてある唯一の漫画が「火の鳥」。僕、図書室に逃げ込むところがあったのですが、「火の鳥」を読むと今の悩みはどうでもいいと思わせてくれるというか。幅広い世界観が、当時子どもだった僕にも分かるように描かれているのがすごいなと。
手塚 小さい頃から漫画を描いたりも?
矢部 手塚先生の「マンガの描き方」を読んで、Gペンやケント紙をそろえたりもしたのですが、「激ムズ」で全然描けませんでした。読むだけでした。
手塚 「大家さんと僕」で印象的なのは、大家さんと一緒に車で新宿伊勢丹に向かう途中、大家さんから「この道は昔は滑走路だった」と聞いて車がフワッと浮き上がる。それまではリアルな話を描いているのに、急に空想の世界になったのがすごく刺さりました。後でお父様が絵本作家でいらしたと聞いて、ファンタジーを描けるのかなと思いました。
矢部 絵はやっぱり身近でしたね。家にはアトリエがあり、紙や絵の具もいっぱいあったので。お父さんがアトリエで描いている時や編集の方と話している時に、隣にいたりもしました。
手塚 うちは母が「邪魔しちゃだめよ」と。私は父がどうやって描いているのかをあまり知らないで育ちました。日常に絵が存在したんですね。今回受賞されて、お父様はなんとおっしゃってました?
矢部 「脱力感がいいね」って。
手塚 漫画家としてこれから描かれてみたいことは。
矢部 大家さんのことをもっと知りたいですね。
手塚 すごく愛を持ってらっしゃる。これからもたくさん漫画を描いていただきたいと思います。もちろん芸人としても頑張って頂きたいんですけど。今日はありがとうございました。
矢部 ありがとうございました。