歩行者天国の入り口には車止めの「アングル」とパイプ柵が隙間なく並べられる=2018年5月20日午後3時19分、東京都千代田区外神田1丁目、小早川遥平撮影
家電量販店の店頭放送や、アイドルのイベント告知でにぎやかな昼下がりの東京・秋葉原。日曜日の歩行者天国(ホコ天)を行き交う人の姿は、無差別殺傷事件からの10年間で様変わりした。コスプレ姿の若者は減り、目立つのは路上で思い思いのポーズで写真を撮る外国人観光客だ。
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「外国からお客さんが集まるのは安心して過ごせるようになった証し」。ホコ天を運営する秋葉原地域連携協議会「アキバ21」の大塚實会長(84)は話す。事件の影響で一時中止された2008年以降、地元住民や商店街の意見をまとめてきた。
なぜ秋葉原だったのか。「荒れた雰囲気が狙われたのではないか」。そう受け止めたのは大塚さんだけではない。裸同然でガードレールに上ったり、路上で酒を飲んで寝ていたり。そんな若者の姿を案じ、町会でパトロールを始めた2年後に事件は起きた。
事件後、ホコ天を再開して人を呼び戻したい商店街と、不安視する住民とで意見は割れた。大塚さん自身、1973年に始まり、道の真ん中にパラソルが並んでにぎわったホコ天を住民として見てきた。「危険なイメージを変えることが先輩たちへの恩返し」。子連れが少なくなった街を見て、再開へのまとめ役を買って出た。
立ち上げた検討会で議論を重ね、違法なパフォーマンスの禁止や街の美観推進などのルールを定めた「秋葉原協定」を策定。行政も動かし、11年の再開にこぎつけた。「当たり前のルールと言われるかもしれない。でも、事件前は当たり前じゃなかった」。住民や商店街の従業員、ボランティアが交代で街頭に立ち、来場者への注意喚起やゴミ拾いを今も続けている。
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