井上陽一さん
無声映画を上映しながら、せりふ交じりのナレーションを口演する活動弁士は、もはや、ひと握りの数しかいない。その現役最高齢とみられるのが、関西の長老、井上陽一さん(79)だ。昨年末から人工透析で命をつなぐ身になったが、声は往年のまま。9日、大阪市淀川区のシアターセブンで名作「瞼(まぶた)の母」を語る活弁ライブを開く。
井上さんは兵庫県姫路市生まれ。戦後、焼け跡のバラック小屋の映画館で「ターザン」と「一心太助」の2本立てを見て映画にとりつかれたという。中学を出ると地元の映画館に就職し、映写技師になった。
活動弁士の生の話芸を初めて聞いたとき、すでに30歳を過ぎていた。「場所は忘れもしれん、大阪の三越劇場。『懐かしの活動写真上映会』をやるいうので、いっぺん見たろか思うて出かけたんが、こうなってもうた」と井上さんは語る。
「関西最後の活動弁士」という触れこみで銀幕の傍らに登場したのが、昭和初期に人気を博した浜星波(はませいは、1991年没、享年79)だった。井上さんは、たちどころに老練の語り口にほれこんでファンになり、ついには弟子入りした。
「七五調に、なんともいえん味わいとメリハリがあって、うまいんや。あれ聞いたら、音の出るフィルムが頼りのうてしゃあない」
井上さんは79年、兵庫県の加古川刑務所の慰問で弁士デビューがかなった。「口笛が吹かれたり、声がかかったりして、よう受けましたんや。あそこで勇気づけてくれたから、堂々としゃべれるようになった」
本職の映写技師を続けながら重ねた口演回数は、次回で560回目になる。その映像を記録したドキュメンタリー映画「最後の活動弁士 井上陽一の世界」を製作した鵜久森典妙(うくもりのりたえ)さん(69)は、「若いころから馬力のある人で、週3回の透析に耐えながらも声の張りは衰えていません。口調が心地よいので、うっとりと聞きほれたまま眠りこんでしまうお客さんもいるほどです」と話す。
9日のライブは午前11時からと午後2時からの2回。稲垣浩監督、片岡千恵蔵主演の「瞼の母」(31年)を上映する。当日1500円。問い合わせはシアターセブン(電話06・4862・7733)まで。(保科龍朗)