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6月12日、歴史上初めて米国と北朝鮮の首脳が相まみえる。「敵対関係」にある米朝の会談で、最大の焦点となる北朝鮮の非核化。朝鮮半島の分断の中で生まれた独裁国家は、なぜ核を開発し、危機はどう繰り返されてきたのか。歴史を糧に会談の行く末を探る。
朝鮮半島は、第2次大戦後からずっと核の脅威と無縁ではいられなかった。
1948年、米ソ対立のはざまで「分断国家」として韓国、北朝鮮が相次いで建国。50年の初夏に朝鮮戦争が勃発し、半年たったクリスマスイブ、国連軍の司令官マッカーサー元帥はワシントンに暗号電を打った。「原爆投下の標的候補地を優先順に挙げる」
ウラジオストク、北京、旅順……。並んだのは北朝鮮軍に加勢する中国と、背後から支えるソ連の都市名。翌春には、この中ソを核でたたく計画を具体化させ、承認を得ようとした。トルーマン米大統領の反対で現実にはならなかったが、北朝鮮が核の脅威を肌で感じるには十分だった。
韓国国防省によると、北朝鮮の核開発の基盤づくりは、ソ連を通じて50年代から始まった。日本統治時代から豊富なウラン資源があることは知られていた。56年、ソ連との原子力協定でモスクワ郊外のドゥブナ原子力研究所に研究者を送り、技術も得る。
最高指導者の金日成(キムイルソン)氏は68年、米国が世界各地で紛争を起こしているとして、「米本土に核爆弾を落とすしかない」とも演説している。
一方、国際関係の変化の中で北朝鮮は孤立の方向へ向かう。70年代に中ソが米国と相次いで関係を改善。後ろ盾を失い、独自に「自らを守る宝剣としての核開発」を急ぐようになった。
85年、寧辺(ヨンビョン)の原子炉が臨界に達した。使用済み核燃料棒を再処理し、兵器用のプルトニウムを抽出しやすい黒鉛減速炉だ。現在持つプルトニウム型原爆の原料となっているとみられる。
北朝鮮をめぐる核危機 第1次
NPT脱退宣言 米は空爆準備
北朝鮮はひた隠しにしたが、米国などの偵察衛星が動きをとらえた。90年代に入り、疑惑解明のための国際原子力機関(IAEA)の査察と、北朝鮮の申告とつじつまが合わずに対立。国際社会の批判が強まる中、北朝鮮はIAEAが求める特別査察を拒否し、核不拡散条約(NPT)からの脱退を宣言した。「第1次核危機」である。
米ソの「核の傘」の下で東西陣営がせめぎあう冷戦構造が崩壊し、世界では各国が次々と自前の核兵器を持つ懸念が高まっていた。クリントン米大統領は「核ドミノ」を食い止めるため、寧辺の核施設への空爆準備をするよう命じた。戦争になり得る危険な状況だった。「北朝鮮は100%反撃する。米韓の死傷者は50万人以上」とも想定された。
流れが変わったのは、94年6…