ゴールを決める鹿児島城西高時代の大迫勇也(左)。「半端ない」と称された=2009年1月、全国高校サッカー選手権準々決勝滝川二高戦
中学生で大学生相手にゴールを決め、おまけに相撲も強かった――。サッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会で格上のコロンビアから決勝ゴールを決め、日本を勝利に導いたFW大迫勇也(28)=独1部・ブレーメン=は、若いころから「半端ない」逸話を残してきた。
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1枚の写真が残っている。2009年1月、全国高校サッカー選手権の決勝後の記念撮影だ。準優勝した鹿児島城西高の選手が準優勝メダルを首にさげて写っているが、大迫だけメダルがない。表彰式でメダルが贈られたが、すぐにはずしたのだ。当時3年生だった大迫は、この大会で今も不滅の最多記録として残る10ゴールを記録したが、最後に広島皆実高に敗れた。負けん気の強さが、この写真に表れている。
地元・鹿児島では、その能力の高さは早くから有名だった。中学は、鹿児島城西高の系列校の鹿児島育英館中だった。高校入学を控えた中学3年の春休みに、高校のサッカー部の遠征に参加したときのことだ。大学生との練習試合で0―0の残り約15分で出場したところ、1得点1アシストを決めたという。
鹿児島城西高では、小久保悟監督がある日、投げることや引くことを禁止した「押し相撲」をやらせた。グラウンドに土俵を描いて、部員に取り組ませると、大迫は簡単にどの相手も押し出した。当時二十代半ばの中学の先生とも、五分だったという。大迫の体幹の強さについて、小久保監督は「もともともっていたものがあると思う。特別みんなより強かった」と話す。
日本リーグ(JFL)の古河電工のFWでプレーした経験を持つ小久保監督が守備選手役となり、高校生の大迫に向かって体を寄せたこともあったが、動かすことができず、ボールをキープされた。大迫の背中越しにボールも見られない。「なんだ、こいつ」と思ったところ、体をうまく反転させられてシュートを打たれた。小久保監督は「日本リーグにもそんな選手はいなかった」と語る。
大迫は体幹が強い上に、努力家でもあった。中学入学後、全体練習の後に、毎日GKをつかまえてシュート練習を繰り返した。それは、高校入学後も続けた。
高校で全国選手権準優勝に終わった後、J1鹿島入り。12年ロンドン五輪の時は、アジア最終予選までは主軸の1人だったが、本大会ではメンバーから落選。つらい経験も乗り越えて、今がある。
日本代表の試合でサポーターが、大迫を「半端ないって」と書かれた横断幕を掲げるのはよく見る光景だ。大迫が「半端ない」と言われたのは、全国高校選手権で対戦相手だった滝川二(兵庫)の選手が「大迫、半端ないって。アイツ、半端ないって」と泣きながら叫んだ姿がテレビで放映されたのが、きっかけだった。
次の相手はアフリカのセネガル。高い身体能力にも負けない大迫の体幹の強さは、日本の武器となる。(カザン=堤之剛)