見つかった治安維持法裁判関係資料
戦前の治安維持法事件の刑事裁判資料が見つかり、愛知県立大名誉教授の倉橋正直さん(75)=中国近現代史=が8月の公開を準備中だ。思想を取り締まった同法は、昨年施行された「共謀罪」法との類似性が識者らから指摘されている。倉橋さんは「実物を見て、考える機会にしてほしい」と話す。
見つかった資料は「日本共産党事件 予審決定書」(1930年)と「日本共産党事件公判 速記録」(31年)の2種類。戦後に共産党書記長を務めた徳田球一氏ら党幹部ら37人に対する裁判資料とみられる。
倉橋さんの知人が古書店で見つけた。一部資料は60年代に復刻出版されているが、裁判当時の手書きガリ版印刷の資料は珍しいという。
「予審決定書」には東京地裁の印があり、全276ページ。予審は事件を公判に付すかどうかを決める裁判手続きで、現行刑事訴訟法で廃止された。当時、共産党は非合法で、党の会議への参加や「入党勧誘」が犯罪行為として列挙されている。
「速記録」は弁護団資料とみられ、開廷日1~2日ごとで約10つづりあり、全体で1千ページを超す。筆跡は複数で字体も乱れ、一部はとじた糸がほどけたり、表紙が無くなっていたりする。
検事がいきなり、「安寧秩序を害する」として裁判の非公開を求めたり、被告が「毎日引張り出して殴つたり蹴たり、あらゆる拷問を行つた」(原文のまま)と告発したり、迫真のやり取りが記録されている。公判の時点ですでに3年半勾留されている徳田氏が「私達は殆んど全部が一種の監獄病に陥つて居る……。非常に根が弱つて居る」(同)と話す場面もある。徳田氏は有罪となり、そのまま終戦後まで収監され、「獄中18年」となった。被告のうち東大卒や東大中退が10人を超え、高学歴の人が多かったことも分かる。
倉橋さんは8月16~19日に名古屋市で開く「平和のための戦争展」の実行委員会で代表をしており、同展で資料を展示する方向だ。(編集委員・伊藤智章)