「真実」は語られず、採決の強行は繰り返された。批判の先鋒(せんぽう)である野党への支持も広がらない。通常国会が22日、閉会した。現代日本社会は冷笑主義に陥っていないだろうか。
「記憶の限りでは、ない」「刑事訴追の恐れがある」
森友学園についての公文書改ざんや加計学園の獣医学部新設をめぐるいわゆる「モリカケ」疑惑の国会での追及に、国家権力の中枢にいる幹部らは証言を拒否し、記録を突きつけられても記憶を理由に発言が二転三転した。
安倍晋三首相の国会答弁も物議を醸した。昨年2月、森友学園の国有地売却問題に自身や妻の昭恵氏が関与していた場合、「総理大臣も国会議員も辞める」と断言。この発言の後に財務省の公文書の改ざんや廃棄があった。ところが安倍首相は今年5月、自身の発言についてこう釈明した。
「贈収賄では全くない。そういう文脈において一切関わっていない」
贈収賄という文脈を自分で加え、「関与」の意味を狭めた。だが、前言を翻した「うそ」と追及した野党やメディアに対し、有権者からは「他に議論すべき問題があるのでは」という冷ややかな反応も目立った。
権力者の発言の揺れが許容される背景には何があるのか。
百木漠・立命館大専門研究員(社会思想史)は、ベトナム戦争の戦況をめぐり、政府が国民を欺き続けていた1960年代の米国と重ねる。政治思想家ハンナ・アレントが当時、「伝統的なうそ」と区別した「現代のうそ」という概念が今を読み解く助けになるという。
伝統的なうそは、まず正しい現…