8月5日の第100回全国高校野球選手権記念大会の開会式に、皇太子さまが出席する。戦争による中断や災害を乗り越え、長く続いてきた高校野球。皇室の方々も阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)に足を運び、球児を励ましてきた。
皇太子さまの始球式「打ってしまったら…」仁志敏久さん
特集:皇室とっておき
1959年8月、第41回大会の開会式。皇太子時代の天皇陛下は、甲子園の貴賓室から行進する選手を見つめた。この中に下館一高(茨城)の投手、宮田勲さん(75)がいた。
宮田さんは第2次世界大戦中の42年生まれ。8人きょうだいの末っ子だった。中学3年の時に父を亡くし、兄も59年春に他界。家計は厳しく、野球をあきらめようとも思った。監督らの助けで野球を続け、選手権大会出場を果たした。
入場行進中、陛下の方をちらりと見た。「どきどきしてすぐ目をそらした」。でも、「苦しい生活の俺たちに力をくれた」ように思えた。卒業後、大手セメント会社に就職。戦後の成長を支えた臨海工業地帯の開発などに携わった。
日本高野連などによると、選手権大会は41~45年、戦争の影響で中断した。甲子園の屋根も金属供出のため取り壊された。再開後初めて皇族が訪れた大会は49年、昭和天皇の弟の高松宮さまだった。その後高松宮さまが1回、天皇陛下が2回、皇太子さまが2回、秋篠宮さまが1回、夏の甲子園を訪れている。
68年の第50回大会には、皇…