「ホウレンソウを食べてマッチョになりたーい」。広島市内の戸建て住宅で1月、坂井家の四女、愛和(あいな)ちゃん(3)がそう言うと、食卓のみんなが笑った。次女の慧和(けいな)さん(9)も、母の摩耶さん(41)の隣で笑いながら、ご飯をかきこんだ。
がんとともに ネクストリボン
坂井家では当たり前の、家族そろっての夕飯。だが、2015年の年末、慧和さんが悪性リンパ腫で広島大学病院に入院したときは、当たり前ではなくなった。摩耶さんと、夫で歯科医の宣之(のりゆき)さん(37)が交代で付き添いをした。
女4人、男1人の5人きょうだいは、それぞれ頑張った。長女の愛音(かのん)さん(10)は下の子の世話や家事、三女の萌愛(もあな)さん(6)は一人でバス通園に。愛和ちゃんは母乳から粉ミルクへ切り替え、慈音(しょおん)君(5)も寂しさに耐えた。摩耶さんの妹や両親、ママ友らの全面支援も受けた。
感染予防のため、乳幼児や小学生はきょうだいでも面会制限があり、小児病棟に入れない。慧和さんの体調が良い時、一家は病院の屋上で一緒に遊んだ。誰もが外泊の日を心待ちにした。「特別な場所に行かなくても、一緒ならすごく楽しいね」と言い合った。
慧和さんは6クールの抗がん剤治療を乗り越え、5カ月で退院。定期検査が必要で、腎機能に後遺症はあるが、今は大好きな「ジャザサイズ」のダンスをビートに乗って踊れるほどだ。おなかの手術痕が見える上下に分かれたダンスウェアも着る。「だって勲章だから」
小学1年生の6月から通えるようになった学校で手術痕をからかわれたとき、教室で皆に訴えた。「私は生きるために必死で闘った。元気になったけど当たり前じゃない。亡くなった子もいる。私の勲章を笑わないで」
16年に五女の愛晴(まなは)ちゃん(2)も生まれ、一段とにぎやかになった食卓に、今日も8人の笑顔がそろう。(上野創、写真は池田良)