最上部、3層目の屋根瓦を外すと複雑に組まれた大小の部材が現れた。これらをひとつずつ外して、基壇だけになるまで解体が進められた=2013年3月13日、飯塚晋一撮影
薬師寺は、まだ飛鳥に都があったころの680年、天武(てんむ)天皇が皇后(のちの持統〈じとう〉天皇)の病気平癒を祈って建立に着手した。その場所は、のちに藤原京となる現在の奈良県橿原市だった。
空飛ぶ白鳥・凍れる音楽…あの薬師寺東塔、大修理に密着
【特集】奈良を歩こう
しかし、710年の平城京(奈良市)への遷都で、お寺も新しい都に移った。移転先の境内で、東塔は最も古く、唯一、奈良時代にまでさかのぼる建物だ。
今回の解体修理中に実施された年輪年代測定では、初層(1階)の天井板2枚が、729年と730年に伐採された木材、中央の心柱が719年以降の伐採とわかった。つまり、平城京への遷都から10~20年ほどたった後に建築されたとみることができる。
解体修理前の薬師寺東塔=奈良市
ということは、この塔、ほぼ1300年の間、身じろぎもせず、天を目指すように立ち続けてきた。当時の木材がなお現役だったことになにより驚かされる。
110年ぶりの解体修理が進む内部が徐々に明らかになります。
初層から3層まで、それぞれの…