「孤高」のイメージが強い米シンガー・ソングライター、リッキー・リー・ジョーンズがデビューから40年を迎えた。商業的な成功からは距離を置き、自らの音楽を追い求める姿勢に磨きがかかる。グラミー賞について、ニューオーリンズでの暮らしについて、米大統領について……。5月の来日公演を前に朝日新聞のインタビューに応じ、「らしさ」をのぞかせる率直な言葉で、思いを語った。
リッキー・リー・ジョーンズ40年「孤高」の音楽に変化
大ヒット曲「恋するチャック」を含むアルバム「浪漫」で1979年にデビューし、グラミー賞最優秀新人賞に輝いたジョーンズ。「若い頃は注目を集めようと一生懸命歌を書いた。歌はましな生活を送るための道具だった」と振り返る。
だが、成功はジョーンズに満足をもたらさなかった。「私の人生で起きたことの一つはものすごい名声とたくさんのお金。そう、『女王リッキー』だった」。結局、気がついたのは家族の大切さ。「娘が元気でいてくれて、だれかそばで笑わせてくれる人がいれば、ほかのことも正しくとらえることができる」
10年ほど前から即興での歌作りに取り組む。「昨日何をしたかったのか考えて、あふれ出てくるままに思いを歌にする。それができるようになって、生活がゆったりと、縛られないものになった」という。
即興で歌うのは、ポップ歌手としては冒険だったという。ポップを好む人たちは「レコードと全く同じ歌を聴きたがる」からだ。「ポップ歌手はいつも決まった歌い方をしないといけない。毎晩同じ。私がやりたいのはそういうことではなかった。限界に挑戦したかった」
数年前にロサンゼルスからニューオーリンズに引っ越したことも大きな刺激となった。「ロスでは生活らしい生活がなかった。渋滞がひどくて、ほとんどの時間を車の中で過ごしていたようなもの」。だが、拠点を移すとすぐに違いを感じた。「ここでの生活は子どもの頃の米国と似たような感じ。みんな親切で、『ハイ』と声をかけてくる。より人間的で温かい暮らしがあった」
自宅近くの中学校では毎夕、ブラスバンドが2時間練習し、トランペットやトロンボーンの音が響く。この地の人たちにとっては音楽が本当に身近にある。「昔は周りの環境に自分の音楽が影響されるのがいやだったけど、今はもうそう感じなくなった。最近の私の曲には、どの曲にも少しずつ『ニューオーリンズ』が入っている」
ただ、変わらない「孤高」ぶり…