「最近、調子どう?」
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秋田工の田口雄斗君(3年)は去年の夏、練習中に監督室へ呼び出された。高田環樹監督は「マネジャーをやらないか」と切り出した。「選手としてよりも、マネジャーの方がチームに貢献できると思うけど」
新チームが始動し、「これから自分たちの時代だ」と期待を膨らませていた頃だ。これまで公式戦で背番号をもらったことはない。でもずっと、選手としてベンチに入ることをめざして練習してきた。1年後には、もしかしたら……。今諦めてしまっていいのか。
何より、応援してくれていた母に申し訳なかった。グラブだってスパイクだって、野球をやるにはお金がかかる。母にまだ背番号を見せられていない。それに、引退した先輩たちが「頑張れよ」と激励してくれたばかりだ。
仲間や家族に相談した。同じ中学だった工藤大樹主将(3年)は「自分の意見では決められない。ただ、マネジャーになってくれたら、サポートしたい」。選手からマネジャーになれば大変なことも多いだろうと思いやってくれた。母は、「自分がどうしたいかが大事だからね」と言った。
選手として試合に出られるように努力を続けるべきか、裏方としてチームの勝ちに貢献するべきか。自分で決めるしかなかった。
夏休みをほとんど丸々使って結論を出し、高田監督に伝えた。「マネジャー、頑張ります」
◇
小学4年で野球を始めた。祖父も父も兄も野球をやっていたし、自分が野球をやるのは、ほとんど当たり前のように思えた。
当時から、指導者に言われたことを誰よりも率先してやりたくなる性格だった。みんなの先頭に立つことが多く、中学の軟式野球部では副主将を務めた。高校に入って、より一層練習に打ち込んだ。
でも、その頃には薄々気付いていた。
自分は野球が下手だ。
たとえばキャッチボールで、周りとの差を感じる。山なりの遅い球で、次第に相手との距離が離れると、届かない。そこでワンバウンドさせるにも、バウンドの仕方が悪いのか、相手が捕りづらそうにする。
うまくないと自覚していたからこそ、練習では絶対に手を抜かなかった。真面目にやることだけは誰にも負けない。ただ、成果がついてこなかった。
打力も伸び悩んだ。スイングの力が弱く、バットの先が下がりがちで、なかなか思うように振れない。仲間にも指摘された。
そうか、フォームを直せば次のステップが見えてくるかもしれない。よし――。
監督室に呼び出されたのは、その矢先だった。
◇
秋の大会で、マネジャーとして公式戦のベンチに初めて入った。バッターの特徴を分析し、選手に伝える。守備の確認でも声を張り上げる。声を出すのは得意分野だ。ベンチの盛り上げ役を買って出た。
選手の道を選んでいたら、またスタンドから声援を送ることしかできなかったかもしれない。それが今、近くで選手たちを支えることができる。元選手の自分だから出来る役割だと思えた。
一方で、マネジャーになって気付いたことがある。単純に、野球が好きだった。もちろん家族や先輩の思いのためというのもあったが、プレーや練習自体が好きだった。当時は目先の練習をこなすのに必死で、考えたこともなかった。仲間と叫び合いながらきつい練習を乗り越えるのは、今思えば楽しかった。
先月、久しぶりにユニホームに袖を通した。秋田大会出場メンバー以外で構成するBチームの引退試合に出るため、練習に参加することにした。
練習は、やっぱりきつかった。前より動けなくなった。でも、楽しかった。
自分の判断が正しかったのかどうかはまだ分からない。監督室に呼び出された日のことは、今も忘れられない。
背番号をもらった選手たちには、思いを込めて必ず伝えている。「番号をもらった人には、最後まで諦めずに練習する義務がある。試合中も諦めないで。サポートする側も、頑張るから」