まだ小学校に上がる前だっただろうか。秋田高の千田楓華(ふうか)さん(3年)には、幼い頃の記憶が鮮明に残っている。盆と正月、祖父母の家に帰省するたびに見たのは、父が甲子園で負ける姿だった。
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父は約30年前、秋田高の球児だった。そして1991年夏、小野巧監督の指揮のもと、阪神甲子園球場の土を踏んだ。
秋田の3回戦の相手は、この大会で初出場初優勝を果たした大阪桐蔭だった。秋田は初回に3点を奪ったものの、終盤にじわじわと迫られる。九回に同点に追いつかれ、延長十一回には大阪桐蔭が本塁打で勝負を決めた。
父の実家には、当時の試合を録画したビデオテープがあった。父、母、弟と4人で帰省すると、決まって大阪桐蔭戦をテレビで再生した。映像を見ながらテーブルを囲んで食事し、食べ終わっても、試合の最後の瞬間まで皆で見届けた。そして見終わると、「風呂、入るか」と入浴の準備が始まる。父の甲子園は、日常にすっかり溶け込んでいた。
不思議なことに父は、北嵯峨(京都)にサヨナラ勝ちをした2回戦の映像をほとんど見せなかった。負けた大阪桐蔭戦の、徐々に追い上げられる終盤を何度も見せた。九回途中まで勝っていた試合。やはり悔しかったのだろうか――。決勝本塁打の場面に、笑いながら「ああ~」とこぼす父の表情からは読み取れなかった。「今となってはいい思い出」なんて思っているのだろうか。テレビ台の上には、甲子園出場を記念する皿が飾られ、父「千田匡(たすく)」の名前も刻まれていた。
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娘は小学校でバスケットボールを始め、中学3年のときには県8強に食い込むほど熱中した。匡さん(46)は「てっきり、そのまま高校でもバスケを続けるのかと」。だから、秋田高に行きたいと聞いたときは驚いた。「バスケなら、他にもっと強い高校もあるんじゃないか」。「秋田高で野球部のマネジャーをやる」との返事に、もっと驚いた。
敗戦ばかりを見させた意識はない。ただ、「あの大阪桐蔭相手に善戦したんだよ」と、幼い娘に教えたかった。「最後まで諦めなければ何があるか分からない」とも伝えたかった。もう30年も前のことだ。精いっぱいやったから悔いはない。けれど、悔しい。当時の映像を見ればよみがえる。娘にも少しは伝わったのだろうか。
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秋田高に行きたいと思うに至った、決定的な瞬間があったわけではない。でも、とても自然な流れだったように思う。
単身赴任中の父は、週末に家に帰ってくる。話題の中心は、やはり野球だ。「実力って、何だと思う? 『持っている力』かける『発揮する力』だよ」と父。100の力を持っていても、それを発揮する力が50なら、実力は5千。70の力でも、発揮する力が100なら実力は7千になる、という意味のようだ。どうやら元監督の小野さんの「受け売り」らしい。
なるほど、納得できる。どんなに強い選手がそろうチームも、負けるときは必ずある。地力で劣るチームでも、持てる力を試合で100%発揮出来れば勝機はある。翌朝、チームの日沼啓斗主将(3年)にそのまま伝えた。彼も得心したようだった。
選手が力を発揮できるようにするのが、マネジャーの大事な仕事だ。朝7時半に登校して15合の米をとぎ、炊飯器2台をセット。放課後の練習前に、マネジャー3人でおにぎりをにぎる。汗をかく選手たちのため、塩は多めに入れるのがポイントだ。
この冬の書き初めで、「超える」としたためた。秋田高が甲子園で勝利したのは、父の代が最後だ。「私は、父を超えるためにこの部に入りました」(野城千穂)