(撮影・杜潇逸)
五輪聖火の展示は急遽中止になり、聖火リレーは延期になり、大会そのものも1年後に延期になった。世界の各種スポーツイベントの中で、新型コロナウイルスによる影響を最も大きく受けたのが東京五輪であることは間違いない。延期は単なるイベントの延期というだけでなく、これによって日本が巨大な損失を被ることを意味する。中国中央テレビ局(CCTV)の国際チャンネルが伝えた。
延期という苦渋の決断はどのようにしてなされたか。その背後にはどのような人知れぬ駆け引きがあったのか。
日本は一時予定通りの開催にこだわった
1月末頃から、すでに多くのメディアが五輪の予定通りの開催に悲観的な見方をするようになり、日本は3週間に3回も「中止はない」とコメントを出した。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の態度表明により、中止または延期の見方は一時的に鳴りを潜めた。しかしまもなくこのはかない静寂を打ち破る人が出てきた。
2月25日、米AP通信が重大ニュースを発表し、IOCのディック・パウンド委員が、「感染症が5月下旬までに収束していない場合、2020年東京五輪は中止になる可能性がある」と述べた。
パウンド氏の発言により東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(TOCOG)は大きな圧力に直面することになったが、日本の態度は変わらず、安倍晋三首相は自ら先頭に立ち、「日本政府は東京五輪を予定通り開催するために準備を全力で進めている」と述べた。ほぼ同じ頃、バッハ氏の態度が微妙に変化し始めた。
安倍氏は、「人類がウイルスに打ち勝った証しとして、東京オリンピック・パラリンピックの完全な形での開催を目指したい」と述、G7(先進7ヶ国)の支持を得た。
3月18日、IOCは世界の選手代表220人以上と2時間あまりにわたり電話会議を行った。五輪の予定通りの開催に向けた準備を促進するのが狙いだったが、選手の多くから不満が噴出した。
事態は個人のレベルから国家のレベルへと急速に発展した。カナダは真っ先に態度を表明し、「五輪が延期されないなら、選手団を派遣しない」とした。オーストラリア、スイス、ノルウェー、英国も次々とカナダの後に続き、同様の態度を明らかにした。
こうして内外も困難な状況になったIOCは持ちこたえられなくなり、3月23日に「東京五輪は延期を含めて検討する」と発表した。日本も同日に初めて延期の可能性に言及した。
日本問題の専門家の章弘氏は、「日本とIOCはこの件をめぐり、これまではずっと進退を共にする関係にあるようにみえていた。しかし実際はそうではなく、全体のプロセスの中で、双方の間には実は溝が生じていた」との見方を示した。