リノベーションをし、人気上昇したUR西長堀アパート。壁一面に特徴のある細長い窓枠が施されている=4月29日午後、大阪市西区、遠藤真梨撮影
西日本初の都心部高層住宅とされる「マンモスアパート」(大阪市西区)が改装され、新たな入居者を募っている。高度経済成長期に、日本住宅公団(現・都市再生機構=UR)が建設。昭和モダンの香りを残す伝説的アパートにはかつて、作家の故・司馬遼太郎さん、俳優の故・森光子さん、野球評論家の野村克也さんも暮らしたという。大改造を施すリノベーション住宅ブームのなかでも、ひときわ注目を集めている。
心斎橋などミナミの繁華街に近い北堀江にそびえる、地上11階、全263戸の西長堀アパート。グレーの外壁は全長100メートルに及び、整然と並ぶ細長い窓枠の上下にだけ赤色が配されている。建設当時、近くに並び立つ高層建築がなかったため、高さの圧迫感を和らげる配色の工夫という。
1958(昭和33)年、都心の限られた土地を有効活用するため、東京の晴海高層アパートと並ぶ試験的な都市型高層住宅として建てられた。その威容が新聞記事で「マンモス」と形容され、愛称が定着した。
真鍮(しんちゅう)のドアノブやタイル張りの浴室などモダンな内装に和の暮らしも折衷。畳部屋もあり、押し入れには着物用の引き出し、浴室にひのきの浴槽が置かれた。
全室賃貸で9種の間取りの中には、当時は珍しいダイニングと寝室が別のタイプも。2DKの家賃が月額1万6500円と大卒初任給の1・4倍。中庭に専用ハイヤーがとまり、ロビーに世界的な画家・吉原治良(じろう)氏の壁画が飾られた。
大原淑子さん(78)は結婚してすぐの67年に入居した。高倍率のくじに当選して入った2LDK。「大阪駅でタクシーに『マンモスアパートまで』と言えば行ってくれた。地下鉄の駅が近い便利さと、上品なつくりも気に入った」。夫と死別した後もアパート内の1LDKに住み替えた。
しかし今は「両隣が空き部屋で寂しい」。住民の多くが高齢で、ほぼ半分が空室となった。耐震性も問題で、URは2014年8月、総額約6億円をかけて、耐震工事や壁、バルコニーの修繕を始めた。入居中の部屋を含む258戸を改修した。
「建築に関わった人、大事に使ってきた人の思いと歴史をつなげたい」(UR担当者)と、昭和の風合いを残す年代物の木材を取り寄せて補修。ふすまの枠や陶器の洗面台、玄関の牛乳瓶受けはあえて残す一方で、今の暮らしにあわせてひのき風呂や部屋を仕切る障子は取り払った。