阿部磨智恵さん。71年ぶりに訪れた学校前で救護の様子を語る=5日、広島市西区、雨宮徹撮影
最高齢の遺族代表として、三重県名張市から平和式典に参列した被爆者の阿部磨智恵(まちえ)さん(90)。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を訪ね、20年前に亡くなった弟の遺影に涙声で話しかけた。「平和の大切さを皆さんに伝えられるようになったね」
阿部さんは広島県尾道市に生まれ、71年前は看護師だった。学徒動員されていた弟の高橋毅(たけし)さんは広島市内で被爆。1996年に病気で亡くなった。
原爆投下の数日後、救護のため広島入りした際の光景が忘れられない。周囲の家屋はぺしゃんこ。一帯は異様な臭いがした。約1週間、救護にあたった小学校の校庭では、遺体の手足をつかんで乱雑に穴に放り込み、焼いていた。
式典前日の5日、71年ぶりに…