居森公照さん。平和式典後、慰霊碑に花を手向け、妻を悼んだ=6日午前9時14分、広島市中区、岡本玄撮影
広島の爆心地から約400メートル。学校に数百人いた児童の大半が一瞬のうちに焼かれて亡くなるなか、「奇跡の生還者」と呼ばれた被爆者、居森清子(いもりきよこ)さん。この4月、82歳で亡くなった。二人三脚で歩んできた夫の公照(ひろてる)さん(81)=横浜市=が遺志を継ぎ、この夏、妻の被爆体験を語り始めた。
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公照さんは平和記念式典に参列。妻の名を刻んだ名簿が慰霊碑に納められるのを見つめた。式典後、慰霊碑に花を供え、目を閉じて妻に誓った。「生きている限り、がんばります」
清子さんは現在の本川小6年の時、学校で靴を履き替えていた時に被爆。校庭に出ると辺りは火の海。熱くて川で頭から水をかぶっていると、遺体が次々と流れてきた。同級生の大半を亡くし、両親と弟も失って「原爆孤児」になった。
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