神戸製鋼時代の平尾さん。現役時代は、スタンドオフ、センターで活躍した(写真中央)
2016年5月に電話で行った平尾誠二さんへの最後のインタビューの詳しい内容は次の通り。
平尾誠二さん、最後のインタビュー 5月に電話取材
特集:平尾誠二さん死去
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ラグビー日本代表は、1989年5月28日、東京・秩父宮でスコットランドを28―24で破った。国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)を創設した8協会(イングランド、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなど)から日本が初めて勝利した試合だった。
――その当時の日本代表に、13歳年上の宿沢広朗さんが新監督になると聞いて?
「一気に若返ったな、という気がしました。それまでは、年配の監督が多かった。日比野弘さん、岡仁詩さんら。宿沢さんは日本代表のことあんまりわかってなかった。それが逆に変な先入観なくてよかった。選手選考にも、何か斬新な選び方をされていた。学閥とはよう言わんけど、どこどこ大学がいないじゃないか、いるじゃないか、当時、結構あった。そんなこと全く無視して、本当に自分が見ていい選手を選んだ」
「宿沢さんとは、時々、飯食おう、とか。練習、終わってから。兄貴分的な年齢の近さがあった」
――一緒に行ったカラオケで「いとしのエリー」を歌ったとか?
「それは宿沢さんのリクエスト…