「蜻蛉(とんぼ)の構え」から木刀を振り下ろす「掛かり」の稽古をする野崎記者=鹿児島市
幕末から明治維新へ、激動の時代を駆け抜けた薩摩の若者たち。彼らの体力、精神力を支えたのは、きっと薩摩の剣術「ジゲン流」だ――と、24歳の記者は考えた。「よりよい社会のために」との志は同じ。剣道の経験はないが、志士の気持ちを感じられればと、ジゲン流の門をたたいた。
鹿児島市の維新ふるさと館によると、加治屋町の武士も、先輩が後輩を指導する郷中教育のなかでジゲン流の鍛錬に励んでいた。
ジゲン流には「東郷示現流」と「薬丸自顕流」があり、主に東郷示現流は上級武士、薬丸自顕流は下級武士が伝えていた。薬丸自顕流は大隅・肝付氏の流れをくむ同家が江戸後期に家伝の野太刀流を元に創流したもの。加治屋町では薬丸自顕流が多かったらしい。
その技を現代に伝えているNPO法人「薬丸自顕流顕彰会」に、稽古の体験取材を申し込んだ。
1月中旬の日曜日の朝9時半。同市池之上町にある島津久光や斉彬ら島津家の墓地に、はかま姿のメンバーが集まった。顕彰会の西原龍司理事(64)は「島津家の許可を得て、特別にここで稽古をしている。殿様の前で稽古ができるのはありがたいこと」と話す。
観光地としてはあまり知られて…