子どもの貧困対策について
「子どもの貧困」問題の解決には、どんな支援がいるのでしょうか。食べ物や持ち物? 学習? お金? 精神的なこと? 保護者への支援でしょうか。朝日新聞デジタルのアンケートにはさまざまな視点の提案が寄せられています。報道する側から、そして報道を見つめる立場で貧困問題を考え続けてきた上智大学教授の水島宏明さんに話を聞きました。
【アンケート】子どもの貧困、支援策は?
■上智大教授(ジャーナリズム論)・水島宏明さん
貧困問題を考えるきっかけは、バブル期の1987年、民放のディレクターをしていた時に札幌で起きた餓死事件でした。パートをかけもちする母子家庭の母親が、役所に生活保護を求め、追い返された末、3人の子を残して餓死しました。離婚後、母親は飲食店などで働きながら生計を立てていましたが、体を壊して生活保護を受けたり抜けたり。女性の就労問題でもありました。でも、取材に行った役所の担当者は「あの母親は色々あるんだよ」と男性関係の話をにおわせました。
社会のゆがみや社会保障制度のあり方を考えるより、困窮状態にある人を興味本位で眺め、「あら探し」する。ネットカフェ難民(2007年)や年越し派遣村(08年)の頃から貧困報道の量は増えましたが、人々の貧困へのまなざしは変わっていないと感じます。12年にタレントの親族が生活保護を受給していたことが注目されました。それ以降、「努力不足」「安易に頼るな」など厳しい声が広がっています。
そんな風潮の中でも、子どもの貧困については認識が高まりました。子どもに責任はないという点に異論はないでしょう。ただ、報道も政策も、継続的に全体像を捉えているのか疑問です。事件や災害が次々に起きると、脇に置いてしまう。悲劇的な要素がないと注目されない傾向があるとも感じてきました。
札幌の事件後、貧しい母子と親切なそば屋の交流を描いた童話「一杯のかけそば」が流行しました。貧しい人はつつましやかで清く正しくあってほしいという空気。貧困報道で捏造(ねつぞう)が起きる背景には、清貧が受けると思ってしまっているところがあるのではないでしょうか。
親の虐待から逃れるために中卒で家を出て派遣の仕事で生きてきた女性を番組で取りあげた時、「彼女を助けたい。寄付したい」という電話が相当数ありました。非正規雇用が拡大する社会のひずみを提起したつもりでしたが、目前の困り事だけ切り取られる。何かを「してあげる」発想だと、議論が深まりません。
ただ一方で、少しでも反応してくれた人に、問題の解決への「鍵」があると思っています。決して無関心ではない。教育や雇用、社会保障などすべてがつながっている社会全体の問題として理解してもらうために、報道は従来のアプローチを見直す必要があるでしょう。例えば、独自にデータを集める。貧困は自分の問題ではないと思っている層にも響くよう、身近なテーマに引きつける。義務教育にかかる費用など誰もが経験するものに着目するのは、その一つです。子ども食堂や学習支援も、表面的なことより、子どもがそこで得る安心感など精神的影響を掘り下げ、支援の有用性をきちんと示していく必要があるでしょう。(聞き手・中塚久美子)
■「不足している」支援策は
アンケートで、支援策として「不足しているもの」を尋ねています。選んだ支援策ごとに、声を紹介します。
【教育】
●「大学卒業までは、親の経済状態によらず、本人の意欲、能力に応じた教育が受けられるようにするべきだと思います。そのための学費と生活費は国で保障すべきです」(東京都・50代男性)
●「子どもの貧困は親の収入で決まる。親の働く環境を整えない限り貧困はなくならない。とくにシングルマザーにとっては厳しい。全国一律の最低賃金の引き上げやパート社員の正社員化など」(鹿児島県・30代女性)
●「自分の友人でも大学に進学し、卒業した者の多くは正規雇用に就いている半面、高等教育を受けられなかった者は非正規雇用であることが多いことから、高等教育を受けられるかが正規雇用に就けるかを大きく左右していると思う。正規雇用に就けば、安定的に納税し、社会保障費を負担できるのだから、意欲さえあれば家庭の経済的事情に左右されずに高等教育にアクセスできるように入学金の支援制度や入学後は給付型奨学金制度の拡充、貸与型奨学金制度においても無利息化や返還額を所得に連動させる、成績等での返還免除制度の拡充をするべき」(東京都・20代男性)
●「『子どもの貧困』という表現に違和感があります。子どもには責任ないです。社会や親も含めて大人たちの責任であり、そのしわ寄せが子どもたちに表れているわけです。まるで同情心をあおり、寄付やボランティアで解決していこう!!と呼び掛けているような気すら感じてきます。でも本来は国が子どもや教育にもっと公的資金を充てるべきです。日本が他国に比べてそこが貧弱なことは周知の事実。子育て世帯に手厚い経済支援をすること、教育も大学まで資金援助すべきです。子育て親は余程の金持ちでない限り、塾や大学という教育資金のために必死に稼いでいます。高額所得世帯に限定した所得制限とし、子どものいる世帯には経済支援を充実すべきです」(神奈川県・40代女性)
【住環境】
●「子どもの貧困支援は、親の経済力にかかわらず『必要な社会的資源へのアクセスをすべての子どもに保障する』という取り組みのなかで解決してほしいものです。たとえば、学校給食の無償化のようにみんなが恩恵を受けるかたちで結果として貧困支援にもなるように。真に支援が必要な困窮者だけを、選別して援助するという方向は疑問です」(埼玉県・60代女性)
【制服や日用品】
●「貧困家庭にとって、学用品は高すぎると思います。私自身貧困家庭出身者なのでわかりますが、貧困家庭にとって、服の『適正価格』はせいぜい2000円まで。それを超えたら『高級な服』という扱いです。なのに、学校では制服や体操着に何万円もかけさせる。しかも、お下がりをもらえるような制度もない。学校側で着るものを押し付けておいてあまりに無責任だと思います。学校指定の品は何もかにも高すぎる」(新潟県・20代女性)
【食べ物】
●「報道される家庭はどん底の家庭ばかりで、それに対する支援が必要なのは言うまでもありません。しかし、子だくさん世帯の貧困(貧困と呼ぶなと言われればそれまでですが)に関してはあまりスポットを当ててくれません。子だくさん世帯は食費がとてもかかり、収入の半分近くが食費になってしまいます。恥ずかしい話ですが夕飯はご飯だけと言う日が週に何回もあります。私自身、豚肉・牛肉類はもう1年以上食べていません。食卓に並ぶのは胸肉とか豆腐類。お金の援助もうれしいけれど、食品での援助が切実に欲しいです」(群馬県・50代女性)
【金銭】
●「ランドセル、中学以降の制服およびクリーニング代、指定かばん、指定靴。安くて良い物があふれている現代で、なぜこんなに高価なのか? 流通も問題ありますが、就学援助金ではまかないきれません。購入できなければ、子供が恥ずかしい思いをします。貧困層への金銭的な支援だけでなく、学校生活にかかる費用の見直しもして欲しいです」(群馬県・40代女性)
【精神面】
●「精神的な支援は制度だけでは対応できない。貧困対策の制度自体は十分でないとしてもある程度は整備されている。貧困に苦しんでいる人は、日々の生活の問題があり、制度の利用など『うまく生きていく』ことができないことが多い気がする。精神的なケアを含めて、人と人の関係によって少しずつ生活を良くしていけると思う。ただ、これは行政の役割を超えている。行政は、貧困対策に取り組む民間団体への支援を拡充すべきだ」(北海道・30代男性)
【親】
●「保育士をしているので生活すること自体が苦手な家事スキルの低い保護者が多いのを感じています。買い物、料理、掃除、お金の管理……親自身が育ってきた環境がそのまま今の家庭環境。どうやって子どもと接していいのかわからないという保護者がたくさんいます。実際に家事スキルをあげるという支援も必要だなと感じます。病気や障がいなど自己責任という言葉では片付けられないたくさんのことが絡み合ってるのが実情ではないでしょうか……」(福岡県・40代女性)
●「私は元生活保護のケースワーカーです。母子家庭の支援で強く感じたのは、個人に焦点を当てながら世帯全体を支援する必要性です。私は子どもと親を切り離して考えました。親には育児を離れ就労するよう支援し、社会復帰による自信回復や、経済基盤の確立に集中できるようにしました。子どもは学校等と連携して学校に毎日通うこと、友達や地域の大人との関係を作ることに注力しました。親と子どもがそれぞれに生活能力を高めること、孤立しないようにすること。その上でモノやお金の支援をしないと、せっかくの支援を生かすことができないからです。制度で一括するのではなく世帯や個人の課題に合わせた丁寧で柔軟な支援が必要と考えます」(滋賀県・30代男性)
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