山本一徳さん。キャンプ中は打撃投手を手伝うことも。「投げるのは体が覚えてるんで」
■スコアの余白
3月。受験シーズンが終わった。希望に胸を膨らませている人がいれば、夢破れた人もいるだろう。日本ハムで、チーム編成業務を担当する山本一徳さん(33)は島根県立安来高校3年のとき、後者だった。
スコアの余白
高校2年と3年の初夏、OBのつてで早大野球部が教えに来た。後にプロへ進む選手もいた。「レベルの差、野球に対する姿勢に感激しました」。地元の国立大、地元に就職。漫然と描いていた未来が変わった。
とはいえ、難関だ。手応えがないまま本番は来た。入試の後、トボトボと向かった地下鉄の早稲田駅前で、予備校のビラを手にする。「仕事しながら勉強できるのか、と」。新聞奨学生のチラシも入っていた。
年の近い弟が2人いる。親に負担はかけられない。新聞販売所に住み込み、午前2時に起きる生活が始まった。東京の区画された住宅街に戸惑った。「自分がどこにいるのかわからない。最初は絶望しかなかったです」。予備校に通いながら雨の日も雪の日も、340軒に配り続けた。そして、早大に受かった。
神宮で投げ、2006年のドラフト5巡目でプロ入りを果たした。通算1勝。目標にしていた現役10年は果たせなかったが、今も野球に携われている。「あの1年は、めげずに前を向く、自分のスタイルを確立できた時間だったと思うんです。将来自分がやりたいことのために本気になる時間は、無駄じゃない」(山下弘展)